旅行・地域

帰りなん いざ

初夏を代表する花木ヤマボウシ、 白い花びらに見えるのは総苞片(ソウホウヘン)で花びらの根元の葉である。    この季節に所属団体桶谷総会が横浜市内の会場と、WEB参加のハイブリット型で開催された。正会員は全員助産師、桶谷そとみ先生の治療技術を学び研鑽を積んだ500余人。今月初めには、合計特殊出生率(15歳‐49歳の1人の女性が生涯で出産する子供の数)が1.20と発表され、留まるところを知らない少子化がニュースになり、何の手も打てない私たちは大ショック。じりじりと追い詰められてゆくような閉塞感ひっ迫感で、助産師外来は暗ーい。総会時の単衣着物は江戸小紋にひょうたん、帯は名古屋の花籠。

Photo_20240616103901    Photo_202406141352012023_20240613083801 グラフはNKさんから借用。総会で絵にかいた餅のような今後の対策や生き残り戦略が発表されたが、なぜか心に響かない。 

11994 3-1994 2-1994 この3枚の古い写真は、30年前の1994年、札幌会場での桶谷の組合総会。桶谷先生ご本家との種々の確執を超えて東京研修センタ-が開校、国際援助バングラデシュが検討され始めた年である。物故された方もご健在の方もおられる集合写真ははちきれるような笑顔笑顔笑顔‼      今こそ、桶谷も陶淵明(365-427)の詩のように初心に帰りましょうよ。歸去來兮(かへりなん いざ) 田園 將に蕪れなんとす  胡(なん)ぞ歸らざる      陶淵明は405年(41歳)、それまでの下級役人から県令となったが、80余日在職しただけで故郷の田畑を耕して暮すと自ら辞職した。

歸去來兮       歸去來兮(かへりなん いざ)
  田園將蕪胡不歸  田園 將に蕪れなんとす 胡(なん)ぞ歸らざる
  既自以心爲形役  既に自ら心を以て形の役と爲す
  奚惆悵而獨悲    奚(なん)ぞ惆悵して獨り悲しむ
  悟已往之不諫    已往の諫めざるを悟り
  知來者之可追    來者の追ふ可きを知る
  實迷途其未遠    實に途に迷ふこと 其れ未だ遠からずして
  覺今是而昨非    覺る 今は是にして 昨は非なるを
  舟遙遙以輕      舟は遙遙として 以て輕し
  風飄飄而吹衣    風は飄飄として 衣を吹く
  問征夫以前路    征夫に問ふに 前路を以ってし
  恨晨光之熹微    晨光の熹微なるを恨む

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滋賀県のアグリパーク竜王、豊かな自然が売り物、黒い実は桑(葉はお蚕さんの食べ物)、右は特産サクランボ。私は、富山県高岡市で桶谷そとみ先生に師事したが、先生は決して広いとは言えないご自宅兼助産院で、素晴らしい技術をあっけらかんと私たち助産師に開放して、(厳しいご指導でしたが、愛がありました!)母親たちの絶対的な支持を勝ち取った。勿論、母親たちはただじ~っと、桶谷先生の手技だけを待っていたのではない。彼女たち親子もご家族も、赤ちゃんを母乳で育てたいと熱い思いを語り、希望をもって手技を受けしっかり食事をとり授乳して、苦しい中でも子育てそのものを楽しんでいた。  

2_20240620073201 陶淵明さんは、帰った故郷でもいろいろ苦難に見舞われるが、仕官の手が差し伸べられも決して心を動かさなかった。私は、高岡時代の桶谷式の苦労を思えば今なんて何でもないよと強がりを言います。

Photo_20240613083903ユーラシア大陸最西端、ポルトガルのロカ岬、大詩人ルイス.デ.カモンイスが(1524-1580)が「ここに地終わり海始まる」とうたった。助学時代の友人S氏は、4月中旬に日本をたち世界1周中、このロカ岬も通りましたね。近畿地方は本日梅雨入りですよ。

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桜咲く!

世の中に 絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし 在原業平(825‐880) いやー待ちましたね、今年の桜。ここ数年で最も遅い開花だとか、(と言っても数日ですが)3月があと2日になって桜も焦ったのかな、一挙に春の気配 見事にサクラサクです。在原業平さまは平安初期の歌人、日本人の桜好きを言い当てていますね。それともイライラしながら待ったのは桜と同じく、美しい生物学的女性? 待つも楽し?。西行さま(1118‐1190)は、願わくば 花の下にて春死なん その如月の望月のころと残しました。

 2_20240331105201 Photo_20240331102801Photo_20240331102901  桜三態は自宅近くの咲き初めしころ、あっという間に見頃になり、薄紅は伏見のお稲荷様の御神田近くの桜。

ここで楽しいご報告をいたします。3月中旬、助産学科時代の友人3人で会食、中の一人とは50年ぶりの再会です。感動もひとしお!

50 Photo_20240331102201   Photo_20240331124201    京懐石を頂きながら、人口爆発の多子化時代だった学生時代の話が弾む。 「エッやっと寮に戻ったと思ったらまた呼び出しですか」実習のための当直はいたが、人出不足になると寮住まいの学生はしょっちゅう呼び出された。贅沢な実習でもったいないことでした。とかく女子会はにぎやかですから、仕事、子育て、介護のことまで3人がかわるがわる熱弁をふるいます。     50年ぶり再開のS様は、教育畑だったのでコロナ禍時代の分娩実習で、何十回も分娩モデルを務めたかという話には、笑い転げながらしんみり、こうして実習を終えて優しい助産師さんが育つのですね。S様は夫の両親とご自分の母上、最後に夫を送って近年退職、4月から念願の100日間の世界一周に出発されます。H様は保健所勤務の時、どうしても予算が出ないお仕事があって、むむむ、必要なお金の工面をされた裏話など、趣味のオカリナでもご活躍、頼りあって共に過ごされるご夫君のことなど……エッ私ですか、相も変わらずお仕事一筋、それでも時間を見ては伏見のお稲荷様詣では続けております。

Photo_20240331102001Photo_20240331102101家族はいそいそとお茶事に出かけ、先週は食事当番が1回だったねと不平を言って、点心だけで帰ってくるから夕食お願いします。エッ、水曜日と木曜日も私だったと反撃、まあいいか  そうそうは都合よくゆかないのが人間の常、たけのこご飯とその他春の献立を鼻歌で作ります。嵐電の踏切近くで咲いていたタンポポ、桜もスミレも好きですがタンポポも大好き。大ピンチ図鑑1と2楽しめますよ。

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有難う101年 週刊朝日休刊  

 5月30日発売の6月9日号で『週刊朝日』は101年の幕を閉じた。

Photo_20230601093801最終号の表紙は折り返し、撮影は浅田政志氏でリハーサルまでやったお祭り騒ぎ企画。

私は、半世紀前の病院勤務時代から愛読し、司馬遼太郎さんの街道をゆくは発売を待ちかねて読んだ。まさに茶の間の週刊誌で近年の●●砲や芸能人を自殺に追い込むようなスクープはなかった。                                  

Photo_20230605173301 20230511_061214

 3か月以上重くのしかかっていた所属団体のZOOM録画が5月25日に何とか終了。収録時の着物は、一重の灰水色地小さな格子の中に宝尽し、帯は洒落袋の朝顔を合わせています。  早い梅雨入り、6月3日は梅雨前線に台風2号も重なって、愛知県や埼玉県など6県で線状降水帯が発生し,浸水被害も多大に出ている。 被害にあわれた皆様にお見舞い申し上げます。
Photo_20230531071301 Photo_20230605160701バットを手に持つフルーい写真の主は、明治の歌人.俳人の正岡子規様、幼名 (のぼる)。なんと子規様がのボール(野球)の命名者ですって❣

バッター、フォアボールなどの訳語をしたのも子規さま、その功績で平成14年(2002年)に野球の殿堂入りしている。

今やかの三つのベースに人満ちてそぞろに胸のうち騒ぐかな 子規が明治30年に詠んだ歌。 満塁なのに次のバッターと対峙するピッチャーの胸中は如何ならん…

20230604_065819 Photo_20230605173702 20230604_073323

台風2号の6月3日の午後、子規様の愛媛に家族3人決死の墓参ツアー。南あわじで1泊、墓参後に道後の大和屋で1泊、日本酒と駄菓子バー、機関車のお料理台は太和屋さんの遊びココロ。今回は、道後公園内の子規記念館にも寄れず、何かと慌ただしい旅でしたが、4年ぶりにお墓参りができてきて心中は静か。名物に旨いものあり、畑田御栗タルトとおがたのじゃこ天は美味ですよ。

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スミレと桜

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今年の桜はあわてんぼうらしく、3月末には京都のあちこちで満開情報が飛び交っていた。家族の一人の誕生日が4月半ばなので、高島屋萬養軒でお祝いして、翌日は初めての原谷苑へ。

Photo_20230408141102 Photo_20230408141103よく手入れされた各種の桜も見事だが、雪柳の白 山吹やレンギョウの黄色 濃赤のウメモドキ、咲き始めたばかりの薄赤いつつじまで配置の美しいこと❣  桜を見上げ、雪柳に見とれて楽しく歩いた1時間、残念なのは花だけ山盛りで喫茶店も、お土産屋さんも見当たらず…

 20230402_090601_2023040815500120230402_091551

その代わりすごい発見!足元に紅色の可憐なスミレです。スミレ好きにはたまりません。

20230401_170627  Photo_20230408143702Photo_20230408145101萬養軒での着物は源氏香を散らした毛万筋の江戸小紋、帯は葉桜の名古屋。フォークとナイフでコースをいただくのは3年ぶリ、デザートまで美味美味美味でした。

  Photo_20230408145201 Photo_20230408151501 20230402_090820

原谷から帰った昼ごはんは、春の混ぜ寿司とメバルの煮つけ。原谷ではタンポポまで可憐でした。

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美山の秋

9月初めの 晴れた休日に美山に行ってきた朝7時市内出発、福王子から高雄を越え、国道162号線(周山街道)を時速50キロ以下でひた走って、美山まで1時間半はかかる。中川トンネル、笠トンネル、京北トンネルを抜けて1時間ようやく周山の道の駅ウッディ京北に到着。

Akahasi  20220904_084524  Photo_20220913073701  周山から更に25キロ、再び162号線を走り由良川にかかる平屋橋(赤橋)を渡ると、そこはかやぶきの里 初秋の美山だった。北山型入母屋造りと呼ばれるかやぶきの家は39軒、由良川と平行に建てられ、20年に1回共同作業で屋根を吹き替え生活を守る。里山をバックに稲が色づき、そばが花咲き赤いポストまでしっくり溶け込んでいる。まだ青いカキの実と対照的に、一抱えもあるハローウインかぼちゃはわざとかな道端にゴロごろ…

20220904_085033  Photo_20220913163701  川端に 早くも紫式部が実をつけ、千木(馬乗り)5本(7本の家もあるそう)のかやぶき屋根、前庭には揺れるコスモス…優しく懐かしい原風景に心和む。

20220904_084853  Photo_20220913163802   初秋の美山を堪能して赤橋を渡り帰途につく。周山のウッディ京北に寄り、お目当ての裕山(ユウザン)の鮎寿司が手に入って大喜び❢  我が家に戻れば、京都市内は35℃越えまだ真夏の暑さ、昼食は藍色ガラス鉢いっぱいの冷そうめん献立です。いつもの自家製めんつゆとおろし生姜も良し盛岡のジャジャ麺ならぬ我が家の麻婆なす麺もまた良しかな⁇           砥部焼の丸い鉢は,ゴム手して皮をむき、1時間半酢水であく抜き、浮き上がるのを鍋蓋で抑えつつ茹でたズイキのゴマ酢和え、細長いホーローバットはアジの南蛮酢、どこまでも真夏のビールにピッタリ献立です。

Photo_20220914151402 Photo_20220914151401書棚の後ろ側から岩波文庫が2012年に出した幸田文(1904ー1990)の対話上下が出てきた。一流の人々38人と幸田文さんが選りすぐった言葉で丁々発止と渡り合う対話集は圧巻!明治の文豪幸田露伴を父に持ち、親子2代の文化勲章、44歳からの遅い作家出発、「父」「弟」「闘」「流れる」、そして60歳過ぎて、法隆寺の解体修理で知られた宮大工西岡常一さんとタッグを組んでの法輪寺3重の塔の再建…この時代にクラウドファンディングがあれば、文さんが金策に駆け回ることもなかったでしょうに…

Photo_20220914073801Photo_20220914174601

対談はどれにも圧倒されるが、西岡常一さんとの「檜が語りかける」は、木の声を聴きくせに合わせて堂塔を組む、右に反るやつ左に反るやつを組み合わせて木の心を聴くのが宮大工と語る。  殻を破って出てきたばかりの灰色ガンのマルティナと会話したという「ソロモンの指輪」のコンラート.ーローレンツさんみたい。はぁ、完璧、スキなさすぎの幸田文さんだが、フランス文学者多田道太郎さん(1924⁻2007)との対談で笑いを取っていた。法輪寺の塔の再建時、西岡さんは90歳、ご子息は60歳くらいか…「おたしさん、おたしさん」としきりに話に出てくる人は隣人位に思っていたら聖徳太子様のことだった!多田さんが合いの手で「話はテープでお取りになって?」「いえ、テープでとっても後でなんだかちっともわかりませんの…」「寸法どうりしなければあとでいらわんならん「いらわんてどんなお椀?」まるで落語?           美山の自然の花々には及ぶべくもありませんが、秋の七草風お月見の花です。

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吉野を歩く

   桜の頃に吉野を歩く…4月1日 願い続けた夢が叶った。旅行会社がチケットから昼食まで準備してくれる1日パックツアーに4人で参加,京都から近鉄特急で橿原神宮へ、ここで吉野行き特急に乗り換え。橿原神宮 - 吉野間は25.2㎞、急峻な山岳で勾配は強いしカーブの連続、おまけに単線なので40分 かかる。Photo_20210404140201

おかげで停車するたびに、古代を連想させるゆかしい駅名に大興奮の私、橿原神宮の次は飛鳥 -壺阪山-吉野口 - 福神 - 下市口 - 六田 - 大和上市 - 吉野神宮-終点が吉野駅、古墳群の飛鳥はここね、壺阪霊験記はここが舞台と大喜び、でも世代間ギャップは大きく3人にハミルされた。
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吉野で手配されたケーブルカーに乗り換え、散り始めた下千本の桜を眼下に愛でつつ5分で金峯山寺のある終点に到着。
今回の吉野行きは桜もさることながら、特別公開中の金峯山寺蔵王堂の3体の秘仏を拝することが大目的。金峯山寺は役小角(えんのおづぬ)様を開祖に山中を駆け巡る修験者たちのメッカであり、私たち一般人には祈りの場である。

Photo_20210404135901吉野が桜の名所になったのは、役小角様が修行中に岩山から金剛蔵王菩薩が出現,感激した小角様が桜の木で、その像を彫ったことに始まる。以後桜は神木とされ修行者は桜樹で、権現像を彫って祀り、祈願する者は桜の苗を寄進したという。平安時代の藤原道長様も1007年にここを訪れ、経塚を築いて弥勒様が下生されるまで金剛蔵王権現様たち、お経を守ってねと祈願、金剛蔵王の命名はあの道長様だった。

20210403_151437_new_new  Photo_20210404140701日本最大級の秘仏大迫力の金剛蔵王権現立像、青黒いお顔は憤怒の形相ですが、叱りつけてでも大いなる慈悲で無知な私たちを導き、助けてあげようとなさっているそう。大きいお像で左から弥勒菩薩5.92m、中央釈迦如来7.28m、千手観音6.15m、さらに近くに寄って悩みを打ち明けよと発露の間に案内されます。吉野は飛鳥時代の斉明女帝(天智,天武天皇の母)、持統女帝(天智天皇の皇女で天武の皇后)をひきつけ、後醍醐天皇をして南朝を開かせ、義経と静御前の別れの場となった。江戸時代の俳人各務支考(かがみしこう)は、歌書よりも軍書に悲し吉野山と詠んだ。

    Photo_20210404190801スマホの歩数計は11000歩を示して、歩きに歩いた吉野山、 下山は、ケーブルカーよりも風情のある奈良交通バスでうねうねとシロヤマ桜を楽しみながら45分。吉野町観光案内所前にあるポスト、お土産は香しい吉野杉のお箸です。

 

 

 

 

 

 

  

 

 

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桶谷先生はねむる 常習山蓮光寺

今日は海の日、京都は祇園祭りの宵々山とあって四条通をそぞろ歩けば風に乗って祇園囃子が流れてくる。つい1か月ほど前の6月中旬、所属する団体の会議が金沢市で開かれた。その会議の前に恩師 桶谷そとみ先生の墓参をと早朝5時ホテルを発ち高岡の常習山蓮光寺に向かう。蓮光寺の歴史は古く1491年、井波に創建されたことに始まる。2回の移転を経て現在地に落ち着いたが境内のこの山門は、加賀藩ゆかりの国宝瑞龍寺建立に多大に協力したお礼にと3代目当主 前田利常候から拝領した由緒あるもの。

Photo_20190715092801  Dsc_1075 Photo_20190715095001  Photo_20190714154101墓地には、江戸時代島原の乱後に加賀藩お預けになった転びキリシタン達が死亡後に土葬されており、2本のケヤキの下には十字架まである。歴とした真宗大谷派、お念仏のメッカのお寺に十字架ちなみに私が住み込み修業した1979年頃の大工町(桶谷先生の旧居)では、夜にお念仏がしめやかに流れ、謡「敦盛」何十回も聞いた。 にこやかな表情の先生との2ショットは1985年泉南の研修センターでの撮影、どんなに願っても先生に甘え御夫君庄蔵氏に「石の上にも5年だなあ」とからかわれていたあのころが再び帰るはずもなし…  厳しい高岡の気候風土、夏の蒸し暑さは京都以上、扇風機が緩やかに風を送るだけの治療院は満員順番待ちでも辛抱強く静かに待っておられた。冬は20㎝を超す積雪の中、兵児帯で赤ちゃんを斜めに結わえ(元祖スリング)、ねんねこ袢纏の上に角巻きストール 長靴で治療院に通われていたお母様たち。先生のお姉さまは明治生まれだが女学校卒業後シスターになられ、桶谷先生のよき理解者協力者であり、昇天まで数日違いという仲のよさであった。墓参でこの十字架に遇うたび、粘り強く寡黙な高岡の人たちの靭さと優しさ,暖かさはこの風土が育てたのだとしみじみ思う。この地で先生は生れ育ち、中国から引き揚げて治療院を開いて母乳の母と慕われ,泉南に居を移されてからも高岡の食スタイルを崩さず、折に触れ懐かしんでいた高岡、先生ご夫妻はこの蓮光寺に永眠されている。

Dsc_1101Dsc_1103Dsc_1100今回特別に拝観させていただいた本堂は、8年前に落慶リニューアルされたが現在もその輝きを保っていて、昨日落慶しましたと説明されても納得でした‼  この蓮光寺に慶事です、30数年前に赤ちゃんだった若院(桶谷先生にお世話になった)が先日本堂で、若く美しい女性と華燭の典を上げました。おめでとうございます!  伝統と歴史のあるお寺を守り受け継ぎ、次世代にバトンタッチは本当に大変でしょうが 若いお二人のこと、きっと大丈夫です。

Img_2784 Img_2785金沢駅でのスナップ,塩沢の単衣は所沢の大平愛子先生からいただいたもの、帯は赤坂福田屋の八つ橋の名古屋    唐衣(からごろも)着つつ慣れにし …の業平からでしょうか。   

 

 

 

 

 

 

 

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サイゴンのクリスマス&京の正月

明けましておめでとうございます。今年もたくさんの方から年賀状を頂き、感謝に堪えません。この場を借りて厚く御礼申し上げます。 元旦の初詣は恒例 北野天満宮へ、めでたい干支の犬を仰いで、ほんのりと梅薫る清々しい本殿にお参りしてきました。Dsc_0268_2 私の春着 薄水色地に椿小倉淳史さんの辻が花染め、帯は梅をアレンジした赤坂福田屋の名古屋を合わせています。Photo_12Photo_13 Photo_11 実は年始早々、職場のデスクトップパソコンが突然完膚なきまでに破壊されました!!えーっ買ってまだ1年ですよ。しかも殊勝にも年賀状の整理をしつつ、住所録訂正をしている最中でした。2016年の年末に前のパソコンが突然ダウンし、データ取り出しに多額の費用を要した経験から、こまめにバックアップしていましたが、5日分ほどは抜けています。オンナは度胸、この際データ取り出しはきっぱり諦めて、ただいま新しいパソコンの到着を待っている所です。さてさて大難を小難で切り抜けられたのでしょうか❓                今年も波乱の幕開けが予想されます。   Photo_19

     昨年もあまりに多忙で、朝6時出勤、日曜休日も何人かを診る私を見かねて、働きすぎ違う?と心配される始末。家族知人に引きずられ、パスポートを新しくし、12月のクリスマスの頃またもベトナム インドシナ半島の最南端 ホーチミン(サイゴン)4日間の旅をしてきました。日本は外気温5℃以下、ホーチミンは真夏で36℃でした。市内のホテル、商店、道路など至る所にツリーやサンタたち、お菓子の家が飾られ、仏教徒が多いと聞いていたのに不思議に思っていたら、クリスマスだけは別、なんだそう。若い国ですから楽しむときは思い切り楽しむということでしょう。

 

 Photo_22  Aruku

 

市内道路はハノイ以上にオートバイで埋まり、タクシ—はアリに運ばれるバッタの如く、オートバイに囲まれてゆっくりゆっくり進み、ホテル近くのベンタン市場に行くのも時間とお金がかかります。だけどホーチミン(サイゴン)は、食べ物が豊富で安価、私は生まれて初めてフードコートなる所でフォーとパインセオ、333(バーバーバー)を美味しく頂きました。333  333    Photo_5パインセオ民族衣装アオザイを着用した女子たちがあまりに格好良いので、私も白のシルクでシャツブラウス風を1着オーダー、夕方お願いして翌日夜にはホテルに届けてくれるという手際よさ、きれいな仕上がりでした。メコン川クルーズにも行き、憧れのノンラー(三角帽子)も入手。帰国して書店に立ち寄ったら、佐伯泰英さんの新古着屋総兵衛シリーズ最新刊がべトナムでした。Photo_26Photo_24

Photo_23  天皇皇后両陛下は、昨年初めてベトナムを訪問され、昨年詠んだたくさんのお歌の中から元旦に選ばれた中に、ベトナム訪問が取り上げられていました。ベトナムの歴史は戦火の歴史なのに人々の前向きなこと、不自由な水、交通、教育などなど文句を言うより体や頭で乗り切る力強さを感じました。今年も訪れる予定です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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雨に歩けば

秋雨前線の停滞と週末台風で雨が続いた10月後半の休日の朝。職場の四条大宮からJR二条駅までの1.1㎞をゆっくり歩いて往復してみた。うちの助産院の若いママたちの元気なこと、よく歩く話に刺激を受けて思い立った訳。凄いんですよ、みんなは!大宮から河原町なんて序の口、中には京都駅まで歩く豪の者もいる。自宅も職場も名所旧跡だらけの市内にあるのに、歩かない足はありません 。大宮通を北へ進み、三条商店街のアーケードを抜けて二条城のお堀の南側の押小路通に出る。Photo_2 Bifuku_5

押小路を西に行き、神泉苑を過ぎて美福通りの信号を見上げる。北は丸太町から南は押小路まで、二条城の西側を走る短い通り。平安朝の初め794年に平安京大内裏の外郭十二門の一つとして美福門が建てられ、壬生氏がこれをを監督していたから、みぶ→びふくとなり門は消失しても通り名は残った。第七十四代鳥羽天皇の寵妃で七十六代近衛天皇の生母、藤原得子は女院として美福門院を名乗っている。この美貌の美福門院様中々の策謀家で近衛天皇が薨去した後、信西入道と組んで保元の乱の要因となる崇徳上皇追い落し作戦に出て、後白河天皇を即位させたことで有名崇徳上皇と後白河天皇は2人とも鳥羽天皇の中宮だった待賢門院璋子の子ですから、保元の乱は実の兄弟同士で骨肉相食む戦を繰り広げたことになる。

 

    • Dsc_0190 Photo_4 雨に打たれても力強く咲く野菊の群れと赤い実を数個つけた柿の木を見つける。季節は晩秋というべきか…二条駅からの帰途、大宮三坊町の二条陣屋のお庭を拝見した。

 

    • Nizyouzinnya_k_4  
      Photo_5  嬉しい事にお庭は大好きなホトトギスと咲き残りの萩の協演であった。このお屋敷は、江戸時代後期の豪商の屋敷として趣向を凝らし客の安全を図るための防衛建築をしている。通称 忍者屋敷。国の重要文化財に指定されているが、現在も小川家住宅として居住者がいる。楽しく雨の2㎞を歩き、帰宅してこの季節いつもの定番中野孝次の「わたしの唐詩選」を紐解く。

 

    • 子夜呉歌  李白(701~762)

       

       長安一片の月

 

    •  萬戸衣を打つの聲 

 

    •    秋風吹いて尽きず 

 

    •     総て是れ玉関の情 

 

    •     何れの日か胡虜を平らげ

 

    •     良人遠征を罷めん 

 


  •  

    長安の街 を照らす侘しい月、冬支度の衣を打つ音が多くの家から響いてくる。ずーと秋風が吹いている、玉門関を通って憎い異民族を平げに行った愛しい夫はいつ帰ってくるのだろうか

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ハノイの夕立

ハロン湾クルーズと鍾乳洞の強行軍でかなりお疲れの中高年女子たちの胃に.船上の海鮮料理はあまりにも美味!!飲めなくても333ビールでカンパーイ。水上生活船が売りにきたシャコ、大エビはその場で塩焼きにしてもらい、果物に目がない女子たちにドラゴンフルーツやマンゴスティンどっさりで贅沢この上なし。     実はガイドさんから『船上で宝石や貴金属をお求めになってはいけませんよ、お買いになるならオモチャと考えて下さい』 とのご注意を受けていた。Photo_5Photo_2そんなご注意などハロン湾の風、食事が終われば船内スタッフが開いたアクセの店にたちまち群がり、「この赤玉珊瑚素敵、アッこの白いのも良い、これ頂くわ、アこれ もう少しプライスダウンだと嬉しい…交渉お願い」ガイドさん唖然…その後ハノイ行きの大型バスに乗り込んで、心地よい揺れにまどろんでいたら、何やら窓ガラスを大粒の雨が叩いている。雨季の上に台風の影響もあって名物ハノイの夕立か…

舗装されていない道路にはたちまち泥水だまりができ、道端に昔懐かしいプラスチックのテーブルと椅子が出て、赤ちゃんを抱いた若い家族が穏やかに談笑していた。ベトナムの総人口9000万人弱、その60%が30歳以下とは、ロージンはどうなってしまったのl??街が若いと感じるはずですね。雨上がりのハノイ市街はこのように美しい。フランスに占領下時代の名残り、ハノイ大聖堂は旧市街に近い。私は移動バスの車中から、この旧市街のショゥーウインド―に着やすそうなレンガ色のワンピースが飾ってるのを見つけた。明日の午前中、自由行動でここに来ましょう。

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Photo_8   活気に満ちたハノイの旧市街を自転車タクシーで回り、ゆっくり見物、お目当ての服ももちろん求めました。いささか焦ったのは、ベトナムドンとカードしか使えないこと、親切な現地ガイドさんに助けていただき、何とか支払いを済ませた次第。2泊目のハノイの超高級デブィホテル、由緒正しく快適なホテルでした。ベトナム又行きたいな。

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

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