旅行・地域

美山の秋

9月初めの 晴れた休日に美山に行ってきた朝7時市内出発、福王子から高雄を越え、国道162号線(周山街道)を時速50キロ以下でひた走って、美山まで1時間半はかかる。中川トンネル、笠トンネル、京北トンネルを抜けて1時間ようやく周山の道の駅ウッディ京北に到着。

Akahasi  20220904_084524  Photo_20220913073701  周山から更に25キロ、再び162号線を走り由良川にかかる平屋橋(赤橋)を渡ると、そこはかやぶきの里 初秋の美山だった。北山型入母屋造りと呼ばれるかやぶきの家は39軒、由良川と平行に建てられ、20年に1回共同作業で屋根を吹き替え生活を守る。里山をバックに稲が色づき、そばが花咲き赤いポストまでしっくり溶け込んでいる。まだ青いカキの実と対照的に、一抱えもあるハローウインかぼちゃはわざとかな道端にゴロごろ…

20220904_085033  Photo_20220913163701  川端に 早くも紫式部が実をつけ、千木(馬乗り)5本(7本の家もあるそう)のかやぶき屋根、前庭には揺れるコスモス…優しく懐かしい原風景に心和む。

20220904_084853  Photo_20220913163802   初秋の美山を堪能して赤橋を渡り帰途につく。周山のウッディ京北に寄り、お目当ての裕山(ユウザン)の鮎寿司が手に入って大喜び❢  我が家に戻れば、京都市内は35℃越えまだ真夏の暑さ、昼食は藍色ガラス鉢いっぱいの冷そうめん献立です。いつもの自家製めんつゆとおろし生姜も良し盛岡のジャジャ麺ならぬ我が家の麻婆なす麺もまた良しかな⁇           砥部焼の丸い鉢は,ゴム手して皮をむき、1時間半酢水であく抜き、浮き上がるのを鍋蓋で抑えつつ茹でたズイキのゴマ酢和え、細長いホーローバットはアジの南蛮酢、どこまでも真夏のビールにピッタリ献立です。

Photo_20220914151402 Photo_20220914151401書棚の後ろ側から岩波文庫が2012年に出した幸田文(1904ー1990)の対話上下が出てきた。一流の人々38人と幸田文さんが選りすぐった言葉で丁々発止と渡り合う対話集は圧巻!明治の文豪幸田露伴を父に持ち、親子2代の文化勲章、44歳からの遅い作家出発、「父」「弟」「闘」「流れる」、そして60歳過ぎて、法隆寺の解体修理で知られた宮大工西岡常一さんとタッグを組んでの法輪寺3重の塔の再建…この時代にクラウドファンディングがあれば、文さんが金策に駆け回ることもなかったでしょうに…

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対談はどれにも圧倒されるが、西岡常一さんとの「檜が語りかける」は、木の声を聴きくせに合わせて堂塔を組む、右に反るやつ左に反るやつを組み合わせて木の心を聴くのが宮大工と語る。  殻を破って出てきたばかりの灰色ガンのマルティナと会話したという「ソロモンの指輪」のコンラート.ーローレンツさんみたい。はぁ、完璧、スキなさすぎの幸田文さんだが、フランス文学者多田道太郎さん(1924⁻2007)との対談で笑いを取っていた。法輪寺の塔の再建時、西岡さんは90歳、ご子息は60歳くらいか…「おたしさん、おたしさん」としきりに話に出てくる人は隣人位に思っていたら聖徳太子様のことだった!多田さんが合いの手で「話はテープでお取りになって?」「いえ、テープでとっても後でなんだかちっともわかりませんの…」「寸法どうりしなければあとでいらわんならん「いらわんてどんなお椀?」まるで落語?           美山の自然の花々には及ぶべくもありませんが、秋の七草風お月見の花です。

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吉野を歩く

   桜の頃に吉野を歩く…4月1日 願い続けた夢が叶った。旅行会社がチケットから昼食まで準備してくれる1日パックツアーに4人で参加,京都から近鉄特急で橿原神宮へ、ここで吉野行き特急に乗り換え。橿原神宮 - 吉野間は25.2㎞、急峻な山岳で勾配は強いしカーブの連続、おまけに単線なので40分 かかる。Photo_20210404140201

おかげで停車するたびに、古代を連想させるゆかしい駅名に大興奮の私、橿原神宮の次は飛鳥 -壺阪山-吉野口 - 福神 - 下市口 - 六田 - 大和上市 - 吉野神宮-終点が吉野駅、古墳群の飛鳥はここね、壺阪霊験記はここが舞台と大喜び、でも世代間ギャップは大きく3人にハミルされた。
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吉野で手配されたケーブルカーに乗り換え、散り始めた下千本の桜を眼下に愛でつつ5分で金峯山寺のある終点に到着。
今回の吉野行きは桜もさることながら、特別公開中の金峯山寺蔵王堂の3体の秘仏を拝することが大目的。金峯山寺は役小角(えんのおづぬ)様を開祖に山中を駆け巡る修験者たちのメッカであり、私たち一般人には祈りの場である。

Photo_20210404135901吉野が桜の名所になったのは、役小角様が修行中に岩山から金剛蔵王菩薩が出現,感激した小角様が桜の木で、その像を彫ったことに始まる。以後桜は神木とされ修行者は桜樹で、権現像を彫って祀り、祈願する者は桜の苗を寄進したという。平安時代の藤原道長様も1007年にここを訪れ、経塚を築いて弥勒様が下生されるまで金剛蔵王権現様たち、お経を守ってねと祈願、金剛蔵王の命名はあの道長様だった。

20210403_151437_new_new  Photo_20210404140701日本最大級の秘仏大迫力の金剛蔵王権現立像、青黒いお顔は憤怒の形相ですが、叱りつけてでも大いなる慈悲で無知な私たちを導き、助けてあげようとなさっているそう。大きいお像で左から弥勒菩薩5.92m、中央釈迦如来7.28m、千手観音6.15m、さらに近くに寄って悩みを打ち明けよと発露の間に案内されます。吉野は飛鳥時代の斉明女帝(天智,天武天皇の母)、持統女帝(天智天皇の皇女で天武の皇后)をひきつけ、後醍醐天皇をして南朝を開かせ、義経と静御前の別れの場となった。江戸時代の俳人各務支考(かがみしこう)は、歌書よりも軍書に悲し吉野山と詠んだ。

    Photo_20210404190801スマホの歩数計は11000歩を示して、歩きに歩いた吉野山、 下山は、ケーブルカーよりも風情のある奈良交通バスでうねうねとシロヤマ桜を楽しみながら45分。吉野町観光案内所前にあるポスト、お土産は香しい吉野杉のお箸です。

 

 

 

 

 

 

  

 

 

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桶谷先生はねむる 常習山蓮光寺

今日は海の日、京都は祇園祭りの宵々山とあって四条通をそぞろ歩けば風に乗って祇園囃子が流れてくる。つい1か月ほど前の6月中旬、所属する団体の会議が金沢市で開かれた。その会議の前に恩師 桶谷そとみ先生の墓参をと早朝5時ホテルを発ち高岡の常習山蓮光寺に向かう。蓮光寺の歴史は古く1491年、井波に創建されたことに始まる。2回の移転を経て現在地に落ち着いたが境内のこの山門は、加賀藩ゆかりの国宝瑞龍寺建立に多大に協力したお礼にと3代目当主 前田利常候から拝領した由緒あるもの。

Photo_20190715092801  Dsc_1075 Photo_20190715095001  Photo_20190714154101墓地には、江戸時代島原の乱後に加賀藩お預けになった転びキリシタン達が死亡後に土葬されており、2本のケヤキの下には十字架まである。歴とした真宗大谷派、お念仏のメッカのお寺に十字架ちなみに私が住み込み修業した1979年頃の大工町(桶谷先生の旧居)では、夜にお念仏がしめやかに流れ、謡「敦盛」何十回も聞いた。 にこやかな表情の先生との2ショットは1985年泉南の研修センターでの撮影、どんなに願っても先生に甘え御夫君庄蔵氏に「石の上にも5年だなあ」とからかわれていたあのころが再び帰るはずもなし…  厳しい高岡の気候風土、夏の蒸し暑さは京都以上、扇風機が緩やかに風を送るだけの治療院は満員順番待ちでも辛抱強く静かに待っておられた。冬は20㎝を超す積雪の中、兵児帯で赤ちゃんを斜めに結わえ(元祖スリング)、ねんねこ袢纏の上に角巻きストール 長靴で治療院に通われていたお母様たち。先生のお姉さまは明治生まれだが女学校卒業後シスターになられ、桶谷先生のよき理解者協力者であり、昇天まで数日違いという仲のよさであった。墓参でこの十字架に遇うたび、粘り強く寡黙な高岡の人たちの靭さと優しさ,暖かさはこの風土が育てたのだとしみじみ思う。この地で先生は生れ育ち、中国から引き揚げて治療院を開いて母乳の母と慕われ,泉南に居を移されてからも高岡の食スタイルを崩さず、折に触れ懐かしんでいた高岡、先生ご夫妻はこの蓮光寺に永眠されている。

Dsc_1101Dsc_1103Dsc_1100今回特別に拝観させていただいた本堂は、8年前に落慶リニューアルされたが現在もその輝きを保っていて、昨日落慶しましたと説明されても納得でした‼  この蓮光寺に慶事です、30数年前に赤ちゃんだった若院(桶谷先生にお世話になった)が先日本堂で、若く美しい女性と華燭の典を上げました。おめでとうございます!  伝統と歴史のあるお寺を守り受け継ぎ、次世代にバトンタッチは本当に大変でしょうが 若いお二人のこと、きっと大丈夫です。

Img_2784 Img_2785金沢駅でのスナップ,塩沢の単衣は所沢の大平愛子先生からいただいたもの、帯は赤坂福田屋の八つ橋の名古屋    唐衣(からごろも)着つつ慣れにし …の業平からでしょうか。   

 

 

 

 

 

 

 

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サイゴンのクリスマス&京の正月

明けましておめでとうございます。今年もたくさんの方から年賀状を頂き、感謝に堪えません。この場を借りて厚く御礼申し上げます。 元旦の初詣は恒例 北野天満宮へ、めでたい干支の犬を仰いで、ほんのりと梅薫る清々しい本殿にお参りしてきました。Dsc_0268_2 私の春着 薄水色地に椿小倉淳史さんの辻が花染め、帯は梅をアレンジした赤坂福田屋の名古屋を合わせています。Photo_12Photo_13 Photo_11 実は年始早々、職場のデスクトップパソコンが突然完膚なきまでに破壊されました!!えーっ買ってまだ1年ですよ。しかも殊勝にも年賀状の整理をしつつ、住所録訂正をしている最中でした。2016年の年末に前のパソコンが突然ダウンし、データ取り出しに多額の費用を要した経験から、こまめにバックアップしていましたが、5日分ほどは抜けています。オンナは度胸、この際データ取り出しはきっぱり諦めて、ただいま新しいパソコンの到着を待っている所です。さてさて大難を小難で切り抜けられたのでしょうか❓                今年も波乱の幕開けが予想されます。   Photo_19

     昨年もあまりに多忙で、朝6時出勤、日曜休日も何人かを診る私を見かねて、働きすぎ違う?と心配される始末。家族知人に引きずられ、パスポートを新しくし、12月のクリスマスの頃またもベトナム インドシナ半島の最南端 ホーチミン(サイゴン)4日間の旅をしてきました。日本は外気温5℃以下、ホーチミンは真夏で36℃でした。市内のホテル、商店、道路など至る所にツリーやサンタたち、お菓子の家が飾られ、仏教徒が多いと聞いていたのに不思議に思っていたら、クリスマスだけは別、なんだそう。若い国ですから楽しむときは思い切り楽しむということでしょう。

 

 Photo_22  Aruku

 

市内道路はハノイ以上にオートバイで埋まり、タクシ—はアリに運ばれるバッタの如く、オートバイに囲まれてゆっくりゆっくり進み、ホテル近くのベンタン市場に行くのも時間とお金がかかります。だけどホーチミン(サイゴン)は、食べ物が豊富で安価、私は生まれて初めてフードコートなる所でフォーとパインセオ、333(バーバーバー)を美味しく頂きました。333  333    Photo_5パインセオ民族衣装アオザイを着用した女子たちがあまりに格好良いので、私も白のシルクでシャツブラウス風を1着オーダー、夕方お願いして翌日夜にはホテルに届けてくれるという手際よさ、きれいな仕上がりでした。メコン川クルーズにも行き、憧れのノンラー(三角帽子)も入手。帰国して書店に立ち寄ったら、佐伯泰英さんの新古着屋総兵衛シリーズ最新刊がべトナムでした。Photo_26Photo_24

Photo_23  天皇皇后両陛下は、昨年初めてベトナムを訪問され、昨年詠んだたくさんのお歌の中から元旦に選ばれた中に、ベトナム訪問が取り上げられていました。ベトナムの歴史は戦火の歴史なのに人々の前向きなこと、不自由な水、交通、教育などなど文句を言うより体や頭で乗り切る力強さを感じました。今年も訪れる予定です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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雨に歩けば

秋雨前線の停滞と週末台風で雨が続いた10月後半の休日の朝。職場の四条大宮からJR二条駅までの1.1㎞をゆっくり歩いて往復してみた。うちの助産院の若いママたちの元気なこと、よく歩く話に刺激を受けて思い立った訳。凄いんですよ、みんなは!大宮から河原町なんて序の口、中には京都駅まで歩く豪の者もいる。自宅も職場も名所旧跡だらけの市内にあるのに、歩かない足はありません 。大宮通を北へ進み、三条商店街のアーケードを抜けて二条城のお堀の南側の押小路通に出る。Photo_2 Bifuku_5

押小路を西に行き、神泉苑を過ぎて美福通りの信号を見上げる。北は丸太町から南は押小路まで、二条城の西側を走る短い通り。平安朝の初め794年に平安京大内裏の外郭十二門の一つとして美福門が建てられ、壬生氏がこれをを監督していたから、みぶ→びふくとなり門は消失しても通り名は残った。第七十四代鳥羽天皇の寵妃で七十六代近衛天皇の生母、藤原得子は女院として美福門院を名乗っている。この美貌の美福門院様中々の策謀家で近衛天皇が薨去した後、信西入道と組んで保元の乱の要因となる崇徳上皇追い落し作戦に出て、後白河天皇を即位させたことで有名崇徳上皇と後白河天皇は2人とも鳥羽天皇の中宮だった待賢門院璋子の子ですから、保元の乱は実の兄弟同士で骨肉相食む戦を繰り広げたことになる。

 

    • Dsc_0190 Photo_4 雨に打たれても力強く咲く野菊の群れと赤い実を数個つけた柿の木を見つける。季節は晩秋というべきか…二条駅からの帰途、大宮三坊町の二条陣屋のお庭を拝見した。

 

    • Nizyouzinnya_k_4  
      Photo_5  嬉しい事にお庭は大好きなホトトギスと咲き残りの萩の協演であった。このお屋敷は、江戸時代後期の豪商の屋敷として趣向を凝らし客の安全を図るための防衛建築をしている。通称 忍者屋敷。国の重要文化財に指定されているが、現在も小川家住宅として居住者がいる。楽しく雨の2㎞を歩き、帰宅してこの季節いつもの定番中野孝次の「わたしの唐詩選」を紐解く。

 

    • 子夜呉歌  李白(701~762)

       

       長安一片の月

 

    •  萬戸衣を打つの聲 

 

    •    秋風吹いて尽きず 

 

    •     総て是れ玉関の情 

 

    •     何れの日か胡虜を平らげ

 

    •     良人遠征を罷めん 

 


  •  

    長安の街 を照らす侘しい月、冬支度の衣を打つ音が多くの家から響いてくる。ずーと秋風が吹いている、玉門関を通って憎い異民族を平げに行った愛しい夫はいつ帰ってくるのだろうか

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ハノイの夕立

ハロン湾クルーズと鍾乳洞の強行軍でかなりお疲れの中高年女子たちの胃に.船上の海鮮料理はあまりにも美味!!飲めなくても333ビールでカンパーイ。水上生活船が売りにきたシャコ、大エビはその場で塩焼きにしてもらい、果物に目がない女子たちにドラゴンフルーツやマンゴスティンどっさりで贅沢この上なし。     実はガイドさんから『船上で宝石や貴金属をお求めになってはいけませんよ、お買いになるならオモチャと考えて下さい』 とのご注意を受けていた。Photo_5Photo_2そんなご注意などハロン湾の風、食事が終われば船内スタッフが開いたアクセの店にたちまち群がり、「この赤玉珊瑚素敵、アッこの白いのも良い、これ頂くわ、アこれ もう少しプライスダウンだと嬉しい…交渉お願い」ガイドさん唖然…その後ハノイ行きの大型バスに乗り込んで、心地よい揺れにまどろんでいたら、何やら窓ガラスを大粒の雨が叩いている。雨季の上に台風の影響もあって名物ハノイの夕立か…

舗装されていない道路にはたちまち泥水だまりができ、道端に昔懐かしいプラスチックのテーブルと椅子が出て、赤ちゃんを抱いた若い家族が穏やかに談笑していた。ベトナムの総人口9000万人弱、その60%が30歳以下とは、ロージンはどうなってしまったのl??街が若いと感じるはずですね。雨上がりのハノイ市街はこのように美しい。フランスに占領下時代の名残り、ハノイ大聖堂は旧市街に近い。私は移動バスの車中から、この旧市街のショゥーウインド―に着やすそうなレンガ色のワンピースが飾ってるのを見つけた。明日の午前中、自由行動でここに来ましょう。

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Photo_8   活気に満ちたハノイの旧市街を自転車タクシーで回り、ゆっくり見物、お目当ての服ももちろん求めました。いささか焦ったのは、ベトナムドンとカードしか使えないこと、親切な現地ガイドさんに助けていただき、何とか支払いを済ませた次第。2泊目のハノイの超高級デブィホテル、由緒正しく快適なホテルでした。ベトナム又行きたいな。

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

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ハロン湾のかぜ

樹上にはミンミンゼミの大合唱,地面には8日目のセミの骸が…毎日の夕立に「ベトナムも日本も変わらないね、おばちゃんの梅干しはどうするの?」ベトナムに同行した姪の言。定まらない天気に梅が干せないかと気にしているらしい。梅は何とかなるから大丈夫よ。

  Sarusuberi_2 Photo_2それより久々の海外がどうしてベトナムって尋ねられても、ムムムと言を濁すばかり、そりゃそうでしょうべトナム準備は4か月前から開始したらしいが、すべてお任せ、パスポートの有効期限??旅費の振り込み、現地ケータイ事情 -グローバルWI-HIをレンタルしたが不要だったーハイハイお任せします。私の実感は前日になって明日からベトナム、3泊4日だよ準備OK?  と聞かれてから。 スーツケースが古ーい、買ってくるから始まった。夏も冬もワンピースが基本の私が、清水の舞台から飛び降りてワイドパンツとTシャツで出かけました。早いね、ベトナム航空直行便は 関空から たった4時間余でハノイに到着し、ガイドのチャン氏の出迎えを受ける。座席の狭さ以外はサービス大満足。 通貨ベトナムドン両替は最少限にとのガイド氏のアドバイスを受け、5000円だけ両替して10人足らずのミニツアーは意気揚々とハロン湾行きの大型バスに乗り込む。道路事用は決して良くないのに、大型バスのおかげか日本びいきのガイドのおかげか3時間の移動は快適だった。 画面にはないが、水牛が闊歩してのど

Dsc_0145Photo_4 かな風景、田植えの人の頭には私の憧れ『ノンラー」。ガイド氏によると、ベトナムの「3大産業はすべて頭にコが付く。コはコメ、コーヒー、香木(正倉院御物の蘭奢待など)だそう」他に水晶、翡翠、スタールビーなど女性の憧れも多く産出する。弱いのはインフラ整備‼蛇口をひねれば安全な水が出る社会ではない。レストランでも飲み水1杯客負担なのである。下水道も同じく、地元の大きな施設でも使用後のペーパーをゴミ箱に捨てるシステム。地下鉄、列車など交通網整備もこれからの課題。不自由な水を使いこなし、コメの加工調理を見事にしてのけ,フォーも春巻も優しい家庭の味でどれも美味でした。ハロン湾が世界遺産に認定されたのは1994年、その頃になって銃声に怯えることなく生活できるようになったのですから。

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クルーズでは世界遺産ハロン湾の3000もの島々奇岩群に息をのみ、神秘的な鍾乳洞には脱帽だが、混雑も半端じゃない! びっしりの人人人に身動きならず蟻の大群のごとく黙々と上り下り進むこと1時間、ライトアップもド派手、レーザーポインタ―を振り回しながらのガイド氏の熱演を拝聴するという難行苦行でした。

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