帰りなん いざ
初夏を代表する花木ヤマボウシ、 白い花びらに見えるのは総苞片(ソウホウヘン)で花びらの根元の葉である。 この季節に所属団体桶谷総会が横浜市内の会場と、WEB参加のハイブリット型で開催された。正会員は全員助産師、桶谷そとみ先生の治療技術を学び研鑽を積んだ500余人。今月初めには、合計特殊出生率(15歳‐49歳の1人の女性が生涯で出産する子供の数)が1.20と発表され、留まるところを知らない少子化がニュースになり、何の手も打てない私たちは大ショック。じりじりと追い詰められてゆくような閉塞感ひっ迫感で、助産師外来は暗ーい。総会時の単衣着物は江戸小紋にひょうたん、帯は名古屋の花籠。
グラフはNKさんから借用。総会で絵にかいた餅のような今後の対策や生き残り戦略が発表されたが、なぜか心に響かない。
この3枚の古い写真は、30年前の1994年、札幌会場での桶谷の組合総会。桶谷先生ご本家との種々の確執を超えて東京研修センタ-が開校、国際援助バングラデシュが検討され始めた年である。物故された方もご健在の方もおられる集合写真ははちきれるような笑顔笑顔笑顔‼ 今こそ、桶谷も陶淵明(365-427)の詩のように初心に帰りましょうよ。歸去來兮(かへりなん いざ) 田園 將に蕪れなんとす 胡(なん)ぞ歸らざる 陶淵明は405年(41歳)、それまでの下級役人から県令となったが、80余日在職しただけで故郷の田畑を耕して暮すと自ら辞職した。
歸去來兮 歸去來兮(かへりなん いざ)
田園將蕪胡不歸 田園 將に蕪れなんとす 胡(なん)ぞ歸らざる
既自以心爲形役 既に自ら心を以て形の役と爲す
奚惆悵而獨悲 奚(なん)ぞ惆悵して獨り悲しむ
悟已往之不諫 已往の諫めざるを悟り
知來者之可追 來者の追ふ可きを知る
實迷途其未遠 實に途に迷ふこと 其れ未だ遠からずして
覺今是而昨非 覺る 今は是にして 昨は非なるを
舟遙遙以輕 舟は遙遙として 以て輕し
風飄飄而吹衣 風は飄飄として 衣を吹く
問征夫以前路 征夫に問ふに 前路を以ってし
恨晨光之熹微 晨光の熹微なるを恨む
滋賀県のアグリパーク竜王、豊かな自然が売り物、黒い実は桑(葉はお蚕さんの食べ物)、右は特産サクランボ。私は、富山県高岡市で桶谷そとみ先生に師事したが、先生は決して広いとは言えないご自宅兼助産院で、素晴らしい技術をあっけらかんと私たち助産師に開放して、(厳しいご指導でしたが、愛がありました!)母親たちの絶対的な支持を勝ち取った。勿論、母親たちはただじ~っと、桶谷先生の手技だけを待っていたのではない。彼女たち親子もご家族も、赤ちゃんを母乳で育てたいと熱い思いを語り、希望をもって手技を受けしっかり食事をとり授乳して、苦しい中でも子育てそのものを楽しんでいた。
陶淵明さんは、帰った故郷でもいろいろ苦難に見舞われるが、仕官の手が差し伸べられも決して心を動かさなかった。私は、高岡時代の桶谷式の苦労を思えば今なんて何でもないよと強がりを言います。
ユーラシア大陸最西端、ポルトガルのロカ岬、大詩人ルイス.デ.カモンイスが(1524-1580)が「ここに地終わり海始まる」とうたった。助学時代の友人S氏は、4月中旬に日本をたち世界1周中、このロカ岬も通りましたね。近畿地方は本日梅雨入りですよ。
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