文化・芸術

瑠璃の魚形 2024正倉院展

行って来ました 第76回正倉院展(10月26日~11月11日)。チケットはとったものの無事に正倉院展にゆけるかハラハラドキドキ、家族の一人が深刻な病気で手術を控えていたのです。お陰様で手術は無事成功してご当人も元気いっぱいになりました、有り難いことです。   近鉄奈良駅からこの登大路を歩くのも1年ぶり、さすが奈良⁉  国立博物館までの道も公園も鹿、鹿、シカだらけ途中で、6月か7月に生まれたばかりのバンビちゃんが母に甘えて哺乳しているところをパチリ。

2_20241104072101 Photo_20241104072001  チケットは事前予約の日時指定ですが、行列を作って並んでいる人々を見たとき嫌な予感が‥‥それは杞憂で、15分でスムースに入れました。博物館に入場するとすぐに3枚の幡があり、その右側で音声ガイドをレンタルして装着します。正倉院には約9000点の宝物が保存されていて,今年の出展は57点。  

Photo_20241103132901  Ura 2階の東新館に上がると、すぐ右手に新羅の琴(しらぎのこと)附 琴柱(つけたりことじ)があった。新羅琴は十二絃の楽器で羊耳型の緒止(絃をつないだ緒)で固定している。今回の新しい試みとして、新羅琴の裏面はこうなっておりますと公開され、後の伎楽面にもそれは適用されている。聖武天皇 (701⁻756)の時代は社会的不安が強く、地震.日食.長屋王の乱.天然痘の大流行まで! 何もかも天皇の徳がないからだと民衆は冷たい視線を浴びせます。 743年 聖武天皇は紫香楽宮で大仏造立の詔を発します。詔は出ても資金のめどは立たない…無いない尽くしの事業に強いお助け人、圧倒的民衆の支持を集めていた僧行基(668-749)登場、彼を総責任者に東大寺大仏建立はスタートしました。行基様この時83歳ですが、なぜ大仏が必要かを解りやすく民衆に説明し、微力でもと資金を集め、元論豪族からはドーンと寄付をいただきます。実行力抜群の彼は大仏完成の3年前にもう安心と他界します。    大仏は752年に完成。聖武天皇はその4年後に世を去られ、光明皇后が天皇遺愛の品々を大仏に献納されて、正倉院宝物が誕生した訳。

Photo_20241104074401  Photo_20241108121701  Photo_20241108121702 黄金瑠璃鈿背十二稜鏡 おうごんるりでんはいのじゅうにりょうきょう)=七宝細工の鏡長径18,5,短径17,3㎝ この鏡は世界にたった1枚しか残っていない貴重品 鏡胎を銀で鏡背を銀の七宝秞(ガラス)、唐時代に流行した想像上の植物 宝相華模様ですって。    緑地彩絵箱(みどりじさいえはこ)は、縦38,5㎝.横35,2㎝、高さは14,2㎝、御仏への捧げものを入れた箱と考えられています。

Photo_20241104122001Photo_20241104074402   花氈(花模様のフェルトの敷物)は232㎝×121㎝紫地鳳形錦御(むらさきじおおとりにしきおんしょく=錦張りの肘置き)は長さ79cm.巾25cm.高さは20cm これに肘を置くとお疲れも癒される?

4_20241031080201 3_20241031080201   2_20241031080201  Photo_20241031080201 

の4個の愛らしい瑠璃魚形(るりうおがた )=(ガラス) 順番に深碧瑠璃魚形.碧瑠璃魚形.浅緑瑠璃魚形.黄瑠璃魚形と命名され、お役人様達が紐を通して腰から下げ、おしゃれアクセとして楽しんだのでしょう。  

Photo_20241108145501 Photo_20241108145101 紫檀金銀絵書几(したんきんぎんえのしょき)は、巻物を広げるための台、右のように経架として用いられたのではないかと想定されている。有難いお経を聞いた後は、お楽しみの伎楽が待っている。

20241031_134429_2024110417460120241104_174723伎楽面 酔胡王の表と裏面、胡人とは西域の異国人のこと、酔胡王と酔胡従が、酒宴の後で酔っぱらった格好を演じて大人から子供までを楽しませたのでしょう。

Photo_20241108132001Photo_20241104135101Settunokuni3
正倉院古文書正集から阿拝常麻呂解は、735年8月28日に平城京左京に住む常麻呂さん宅に泥棒が入り、役人の正装である朝服など12着が盗まれた。左京職はこの盗難届に申し送りの文言を書き添え、左京の公営市場を管轄する東市司に転送している。盗難品が市場で取引されるのを防ぐためですって。白っぽいのは左教職解です。摂津職解には、現在の大阪府北西部と兵庫県南東部の行政を管轄した摂津職印⁻公印が押されていた。1280年前の常麻呂さんの盗難届、左京職のお仕事ぶり、庶民の喜怒哀楽が生き生きと伝わってきます。

 

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さらば夏の光よ

 今年の夏ほど猛暑、酷暑があるだろうか? 毎年そう言いながら過ごしてきた京の夏。長野の友人から頂いたスイカを、「美味この上なし」と毎日食して暑さを凌ぐ。我が家の夏の定番のニシンナスや焼きナスも、手間はかけるがお金はかけないのフツーの暮らし。

Photo_20240822073901      Photo_20240821192202     Photo_20240821192201    それでも16日の五山送り火が過ぎると秋の気配、あれほど賑やかに夏をうたった樹上の蝉声が消え、通り抜ける風も涼しい……
 8月8日気象庁が発した南海トラフ地震臨時情報のせいばかりではないが、15日に解除されるまで地震は来るのか??いや多分来ないよ…避難はどこへ? 軽くおびえながら仕事に励む毎日でした。 その埋め合わせに、ドーンと張り込んで高島屋7階の万葉軒スタイルへ。

  Photo_20240822081901    Photo_20240822083201 20240814_171258  

我が家は万葉軒の定食が2000円だった頃から親戚の子供たちと一緒に来ていて、ずらっと並んだナイフとフォークも慣れっこ。どれから使うか不明の時はスタッフに聞きます。ここのスタッフは控えめかつ親切ですよ。

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前菜に始まって、タイとエビの魚介、スープも美味しい。林立するグラス群はお水迄入れてこれが一人分❓ビールは1本しか飲めずですが、久々の会食に家族の顔は明るい。

20240814_175934Photo_20240821200502ステーキにはご飯とパンの選択もできる、エッ私ですか日本人の主食を選びました。デザートまでいただいて満足満足。帰宅して窓を開け、夜空を見上げた一人が「夏も終わりだね」とつぶやく。  この季節、シャルル.ボードレール(1821‐1867)「惡の華」の秋の歌の冒頭 堀口大学が訳した「われら やがて 冷たき闇に沈みいらん おお、 さらば さようなら  短きにすぎにし われらが夏の 生気ある輝きよ」 を思うと感傷的になっていた。冷たき闇は人生の墓場だと……   所がところが、アンドレ.ジッド(1869‐1951)の「狭き門」に主人公のジェロームがジュリエットに「アリサと何を話していたの?」と聞かれる場面がある。  ジュリエットはジェロームを愛し、ジェロームはアリサを 深く愛している。「ボードレールの詩だったかな…やがて僕らはつめたい闇に沈むだろう」ジュリエットはそれに続けて「さらば 激しい夏の光よ はかないわれらの夏」と詠う。狭き門は1909年出版だから、ボードレールの死後40年たっても若者たちは、彼の詩を歌い続けていたのだ。ふーん、感傷的な堀口大学様の訳詞と違って、さっぱりとうたった安藤元雄の訳も良いし、訳者不明「「やがて 冷たい暗い季節がやってくる 短かった夏の光よ さらば」は青春の終わりをつげる歌と取れて面白い。

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新年ご挨拶2024

 明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

Photo_20240106080001辰年は荒れる!天変地異.気候変動.政治経済云々。来てしまいました!元旦の16時10分 能登半島地震❕ 1週間経過しても まだ全容が解明せず余震も多い。地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、被災された皆さまにお見舞申し上げます。 同時に地震を免れてせっかく助かった命なのに、避難所では清潔とは言えない環境、冷たい食事等々でつらい日々を過ごしておられます。

29年前の阪神淡路大震災、さらにな東日本大震災、熊本地震と日本は地震大国!この経験は生かされていないのか?ただニュースで見ると、安否確認で関西の消防隊の皆様のご活躍が伝えられ、幾分安堵している。どうぞ環境が改善されますように、温かい食事とベッドの確保を!!   今後の生活再建は、政府、自治体は勿論のこと、私たち個人も貧者の一灯を出し合いましょうよ。

 Photo_20240107095401 20240101_100507_2024010617560120240101_101910  7時間後に地震が来るとも知らず、元旦は小雨の中 北野天満宮へ初詣。境内は押すな押すなの大渋滞、訪問着に正倉院の龍鏡の袋帯のいでたち、右手にはカメラマンのコートも持っております。

 自家製おせちは、金箔をかけた黒豆、ヒラメの昆布〆、栗きんとん、だし巻、紅白なます、エビの艶煮、そうそうつまみ食いNO1の田作りとニシン昆布巻き、数の子まで。花びら餅は聚洸、寒紅梅、雪輪、松重ねの和菓子は嘯月製で双方 我が家に初登場。

Photo_20240105155602Photo_20240105155605Photo_20240107100401 ご馳走は、新阪急ホテル美濃吉のお料理、見て良し味わって良し、椀の中身は皆様憧れ京の白みそ雑煮、丸餅にエビと京ニンジン小松菜が入っております。途中 新型コロナで何年か抜けましたが、ここ20年来の正月の集まりは美濃吉です。

Photo_20240105155606 Photo_20240107100402ウナギご飯とお吸い物で〆てお薄と和菓子で大満足、ブリと丸大根炊、主婦の羨望の的、どうしたらこの薄味でこの美味美味美味になるのか…辰年は変化の年でもある! ご一緒に少子高齢化を考えながら、今年を乗り切りましょう。





 

 

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水にはじまる

  11月12日の日曜日、姪が大阪の中央公会堂でめでたく結婚式を挙げた。京都から京阪で淀屋橋下車、北の堂島川を見ながら大阪市役所を右折、南の土佐堀川沿いに国の重要文化財の中央公会堂に到着。滔々と流れる2本の川の間の中之島、水の都大阪の文化と芸術のシンボルである。

Photo_20231121135501  20231112_124608Photo_20231120150301花嫁をエスコートして入場した父(私の弟)は、緊張でカチカチのロボット歩行。人前(ジンゼン)結婚式で、証書にサインする花婿.にこやかに立つ花嫁。人前結婚は最近のスタイルで、出席者が証人らしい。両家のご両親と花嫁花婿、式が終わって皆さま、ほっとしたお顔です。

Photo_20231120172101Photo_20231121134201  Photo_20231121155501この大正ルネサンス方式の外観,内部のステンドグラス、披露宴会場のシャンデリア、圧巻❕豪華です。お決まりの来賓祝辞、乾杯の音頭と続いてホテルから運ばれたコース料理に舌鼓、公会堂内は火気厳禁なのでサービス係の工夫がスゴイ、美味しい料理です。

17001954802583_20231121134701 Photo_20231120150201凝りに凝った宴の企画.展開、見事な料理にまんぷく満足していたら、突然のご指名で親類3名がお色直しに退席する花嫁をエスコートすることに。私達はマゴマゴもたもた、勿論、一番落ち着いていたのは笑顔絶やさずの美しい花嫁です。いやー、良い結婚式でした。           10月下旬に小学校の同窓会で行った難波の道頓堀川と言い、この中之島と言い誠に大阪は水の都、人出も凄くて繁盛している象徴。とっぷりとくれた京阪四条に戻って四条大橋から見る賀茂川も良いですね。

Photo_20231122162401Photo_20231122162501Photo_20231123083001 行って来ました第75回正倉院展!  図録の表紙を飾るのは楓蘇芳染螺鈿槽琵琶(かえですおうぞめらでんのそうのびわ)、国家珍宝帳第一番記載の九条刺納樹皮色袈裟(くじょうしのうじゅひしょくのけさ)。幅253×縦147cm、法衣の上から左肩を前後に覆って使用されたのでしょうか  細かい模様がいっぱいの絹は、御袈裟幞袷(おんけさつつみのあわせ)袈裟九領を大切に包んだ風呂敷ですね。東大寺の大仏開眼会は752年4月、聖武様は4年後の756年5月に56歳で崩御され、その四十九日に光明皇后が遺愛の品々を大仏に捧げたのが正倉院御物の初めです。①大仏開眼会に関わる品々 ②聖武様遺愛品 ③薬物 ④東大寺運営にかかわる品々 大好きな古文書はここです。
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KosekiPhoto_20231121161602ひげがあるのにちょっとベソをかいた男性,麻布に墨書きした素朴な布作面、中倉に29枚、南倉に3枚(女性は1枚他は男性面).楽舞で使用されたかな。古文書は、正倉院古文書正集第20巻―下総国葛飾郡大嶋郷戸籍(下総の国の住民名簿),今の東京都葛飾区と江戸川区付近に居住していた人々のもので721年‐722年のもの。最後は平螺鈿背円鏡(へいらでんはいのえんきょう) 径39.3cmの銅鏡の裏はヤコウガイ,琥珀、トルコ石で飾られた絢爛豪華なお品。

Photo_20231121162101 なんだか多忙な10月11月だったなーとベランダに出れば、隣家の柿が熟してここだけは短い秋でした。

 

    

 

  

 

 

 

 

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さらば昴よ

  10月中旬、見上げると金木犀が咲き、咲く一方から地面に落ちて金色地帯を作っている。休日の早朝、伏見のお稲荷さん詣での帰りに四条大橋から北を望んだ景色,穏やかな賀茂川と北山が望める。

Photo_20231018123501 Photo_20231022153101歌手の谷村新司さんが10月8日に亡くなられた。74歳、まさに団塊の世代のスターだった。団塊世代は.少子化の今とは較べようもない競争社会、卒業するや否や人出不足の社会に放り込まれ、安いサラリーで夜遅くまで残業続き…泣きべそをかいても助けてくれる人はいない。1㎝でも他人を超えよ!だった。谷村さんのは1981年に世に出て、目を閉じて何も見えず…歌詞もメロディも疲れ切った同世代だけでなく、若い世代にも支持されて大ヒットになった。

1_20231020152601 Photo_20231017141501Imurasinnzibannnennおうし座の昴は、ギリシア神話の巨人アトラスと妖精プレイオネの間に生まれたプレアディス7人姉妹を指しているとか…6から7個の青白い星の集団を、清少納言さんも「枕草子」の中できっぱり星は昴と断じておられますし、まだ春浅いころのおうし座を見れば、昴はすぐにわかる。谷村新司さんは、生涯を通じて安定を好まずもっと違う何かを求め続けた。さらば,昴よ、谷村さんの眠りが安らかであるよう見守って下さいね。

Photo_20231024190401Photo_20231024074001Photo_20231024073602Photo_20231024190101

10月が誕生日の私を祝うという名目でのお食事会、小さなケーキが嬉しく、フグ提灯顔でローソクを消すのも楽しい。料亭差し入れの美味なお赤飯.タイのお頭煮はテークアウト用にとお願いする。着物は小倉淳史さんの紅紫付け下げ、帯は北村武史作の桃源花紋です。

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柿の釜は自家製、さて蓋はなり口か頭かで意見が分かれ、両方作ってみました。いつも混ぜ寿司の具を冷凍しているので、ちょっと解凍して豆腐との白あえに使っています。読書の秋深し…宮城谷昌光作の孔丘上下、巧言令色少なし仁の孔子様、放浪の生涯を描いています。

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命なりけり

7月の京都は祇園祭一色、雨の13日 前祭23基の山鉾のうち長刀鉾、函谷鉾、菊水鉾、池坊保育園近くの鶏鉾を見る。  祇園祭は7月1日の切符入に始まり、31日の八坂神社内疫神社の夏越しの祓まで(蘇民将来子孫也そみんしょうらいのしそんなり) 1か月のロングラン。

Photo_20230713165401Photo_20230713165403Photo_20230715051201
869年(貞観11年)に京の都で疫病が大流行し、お役人たち(天皇様にクレームつけるのはさすがに恐れ多い)は何をしてるのと怨嗟の声が高くなり、当時の国の数66本の矛を神泉苑に立てて悪霊退散をお祈りしたのが祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)、これが祇園祭の始まりなので1100年以上の歴史がある。懸装品が動く美術館ともいわれるほど絢爛豪華になったのは、江戸時代の豪商達からですって。Photo_20230714134002Photo_20230714134001   Photo_20230717102701 鶏鉾をじっくり拝観したのは今回初めて、見送りの毛つづれは16世紀にベルギーで作られたもの、トロイの王子ヘクトールが妻子に別れを告げる図柄で江戸時代に日本到来と伝えられている。

 Photo_20230714133801Photo_20230714135401  菊水系人隊

古代、檜扇は悪霊退散に用いられたことから祇園祭の花になった様子、薄灰色の絽の小紋に夏休みと銘を打った絽の夏帯、ウーン今年は蒸し蒸しさすが京都、暑いことなんておへんと強がるのは無理。 この日は女心以上に天気の変化が激しく、セミが鳴いてる! お天気だ―と喜んで着物の用意をしているとザーと降るの繰り返し、心を決めて女は度胸時に愛嬌、さあ出かけましょうと菊水のお茶席で一服。

夏の献立、20230715_171304 20230715_171315   絹ごし豆腐に塩小さじ1/2かけて一晩おいて水けを抜き、トマトとオリーブオイルをかけた一皿、かぼちゃのポタージュ、タコの酢の物、水ナスぬか漬け、到来のピクルス。  家族からベジタリアン献立に見える、焼き丸クンで松坂牛?ならぬ国産牛をたっぷり頂いたと書いてくれと要求がでたので追加します。タイトルは1186年、西行法師が69歳で東大寺勧進のため中山越えをして「命なりけり小夜の中山」と詠んだことから取った。小夜の中山は現在の静岡県掛川市にあり、平安時代から交通の3大難所だった。松尾芭蕉もここを通り、師と仰ぐ西行を偲んでいる。命があればこそ恨み、悩み、悲しみ、喜べる。命こそ大切、命を大切に、これは応援歌です、一緒に頑張りましょう

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新年ご挨拶2023

 明けましておめでとうございます。2023年元旦は早朝から北野天満宮へ着物で初詣。新型コロナ禍で、年末年始外出制限なしは久しぶり、北野天神様もスゴイ人出、マスクを外して出店の前で食しておられる皆様に仰天‼ 他人さまのことを言っている場合ではなく、私どもも3年ぶりにホテルで新年会予定 ! どうなることでしょうか…

20230101_095622_20230103143601  Tennzinnsama       Photo_20230104185901 

Photo_20230103144602  2b_20230104155201 着物は薄灰色地、小倉淳史さんの桐の付け下げに、紫の龍村の袋帯を合わせました。 助産師業も今年で40年、休日は留守電解約(❓)して応答するは、大晦日も元旦も海外でも同様です。年賀状は100枚くらい,賀状終い宣言も混じっていてドキッとしますが、それでもたくさん来るほうでしょう。おせち料理ですか?  シュフですから勿論いたしました。28日から始めて柔らかい黒豆とニシン昆布巻き、竜皮巻、30日夕方にはフンふんとつまみ食いNO1のごまめに紅白なます、ローストビーフなど等。今年はホテル宴会なのでそちらをアップしましょう。

 20230101_121011  Photo_20230104155201 Photo_20230104155202  20230101_130613_20230104155401器も素敵なお料理の始まり 先付、白鶴の器内は紅白なます、モスグリーンの打ち出の小槌内は数の子。白みそ雑煮はエビ おつくりも美味美味❣   おホホ 黒はアワビステーキですのよ、フキノトウとフグのから揚…  まだまだ続くご馳走攻めに参った、ウナギご飯はお持ち帰りという始末です。われは粗製乱造世代 冬ひばり  高野 ムツオ様の句。 

  3_20230104155701 家族はいいものですね、ご馳走とたわいないゲーム後のこの笑顔です。えっ、仕事 4日の今日は仕事始め、めいっぱい働いて助産師業を満喫、母乳で育てるってすごく良いものです。         

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人間青山(ジンカンセイザン)

暑中お見舞い申し上げます。 先日まで鳴りを潜めていたセミ達が「お熱いのが大好き、待ってました」とばかりに早朝から桜や木蓮の樹で大合唱‼ セミの生命力も凄いが新型コロナウイルスも凄い。オミクロン株が変異してBA.5に置き換わり、感染者数は20 万人/日となり第7波到来、人類との熱い戦いはまだまだ続きそうです。

Photo_20220720152502 Photo_20220720152503Photo_20220720153501そんな中で、7月17日3年ぶりの祇園祭 動く美術館 山鉾巡行(前祭)が無事行われた。京都市民の私たちは稚児のしぐさの一つ一つ、くじ改めの少年の凛々しさに歓声を上げて見守った。コンチキチンの祇園囃子も嬉しいが、13日の宵々々々山からのスゴイ人出はニュースで見るだけに。
山も鉾も釘1本使わず、独特の縄で組み立てる伝統作事、作事方も鉾引きボランティアの方々も練習を積んで備え、この日があったのですね。
気のせいか、先頭を行く長刀鉾の音頭取り2人が若くなった感じ。辻回しだけはベテラン4人組が乗り込んでの音頭取り、長時間の辛気臭い間を見せ場に変えて、車方、囃子方とも息の合った辻回しはお見事! 

 20220724_08220520220724_1126002Photo_20220723073301 盛唐の大詩人李白様(701⁻762)の客中行の紹介に、敬愛する中野孝次氏は「人間到る処青山あり」としていて長い間不思議だった。 そうですか漂泊の詩人李白様のお墓は、中国安徽省当塗県青山にあったか。私の学生時代はもう半世紀前になるが、大学は熊野神社近くにあり東大路通りに面して何軒もの「青山」という喫茶店があった。単純にコーヒーのブルーマウンテンだと思っていたが、もしかして青春の墓場の意味?

蘭陵美酒鬱金香  蘭(らんりょう))(びしゅ) 鬱金(うつこんこう)

玉椀盛來琥珀光  (ぎょくわん)(もりきた)る (こはくのひかり)

但使主人能醉客  (た)主人をして(よ)くわしめば

不知何處是他鄉 らず(いず)れの(いずれの所かこれ)(たきょう)なるを   

さーすが李白様、故郷に錦を飾るなんて考えこれぽっちもない…蘭陵の酒は良い香り、玉椀になみなみと注がれて琥珀の光を放つ。主人がうまく私を酔わせてくれればそこが故郷さ。

Photo_20220723073401 Photo_20220723073402  タイトルの人間青山の初出は獄中の政治家蘇軾(1037⁻1101)が、1079年に死を覚悟して実弟に送った2編のうちのその一にある。是る処の青山骨を理む可し(いたるところのせいざん 骨をうずむべし)。多彩な蘇軾は、文人書家.あの蘇東坡肉の料理家としても名高い。故郷でなくてもどこでも死に場所はあるさ、弟よ、来世があるなら君とは又、兄弟でありたいね。この蘇軾の人間青山を取り込んで、幕末の尊王攘夷派の僧侶 釈 月性(1817⁻ 1858)は、男子志を立てて故郷を出れば、学成り出世しなければ死んでも帰ってはならん。どこにでも骨をうずめなさい!と勇ましい。ベランダきゅうりとハモカワの酢の物は夏の定番、サラダ感覚で美味しく戴いている。蘭陵の美酒はシャンパンでいかが?下戸には、能勢ミネラルもいけますよ。

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兵馬俑と古代中国展

  2月24日にロシアからの侵略が始まり、今なお、出口の見えない泥沼のウクライナを夜のニュースで見る。本当にマリウポリは陥落寸前なのか、この侵略を止めるべきはロシアのプーチン大統領だが、彼はブレーキの利かない戦車に乗ってしまった…安全な日本にいる私にできることは、ウクライナから目をそらさず関心を持ち続け、心ばかりでも確かな所に寄付を届けるだけ。

Photo_20220420233601Photo_20220427073201    Photo_20220420233602京セラ美術館で開催中の兵馬俑と古代中国を観てきた。ヒトや動物の姿を写し取った像を俑と言い,故人の死後の生活のため地下世界に収められた1974年に西安市で発掘された秦の始皇帝(BCE259-210)の兵馬俑8000体が有名。図録の表紙を飾る跪射武士俑(キシャブシヨウ⁾は高さ122㎝ 、弩(ド=イシユミ)集団の一員の彼は、右膝を地面につけ左膝を立て弩を構えて待機している。 モノクロ写真は、発掘時のまま始皇帝陵の土中にある兵馬俑。等身大の前面の武士団が、向かって左に揃えている髷にも注目!。

Photo_20220415133603Photo_20220418130501Photo_20220418134302Photo_20220418134301時代からは、イラストのような立射武士俑178㎝や、アクセと見まがう愛らしい金虎 高さ3.1㎝【もしかして虎符】も出土している。

20220410_102340_20220418132901 Photo_20220418132501   Photo_20220418132603展示最後の室は撮影OKなので、イヤホンガイドつけたまま、スマホを迫力満点の舞台に向け夢中で撮影中。着物は灰水色大島、葉桜の名古屋帯という装い。

 Photo_20220418180601 Photo_20220418180501Photo_20220419184301彩色騎馬俑は高さ33cm、長さ34cm 秦時代から見るとまるでミニチュア、皇帝陵ではなく劉邦に従った臣下陵のもの?  右の彩色歩兵俑高さ48cm,顔貌が北方系らしい。のちに激しく争うことになる匈奴とも前漢時代は仲良く交流していたのか?   BCE202年、漢の劉邦が垓下の戦い(ガイカノタタカイ⁾で楚の項羽を破って漢皇帝の座に登ったのは46歳の時,劉邦が建国した前漢は約200年続いた。 鼎の軽重を問うの鼎がこれ、父癸青銅鼎(フキセイドウテイ)、BCE771 年に滅亡した西周の陵から出土した。高さ30.5cm,口径26.5cm、戦にも携帯して魚肉を調理したのでしょうか。

Takenoko-1  Photo_20220419184401  今年も長岡京のF様から見事なタケノコ様がご到着。普段は眠っている直径35cmの巨大土鍋と寸胴で水から1時間、ゆっくり茹でて一晩そのまま冷まします。筍ご飯と焼筍の田楽味噌で賞味! 変異を続ける新型コロナウイルスも宿主を殺してしまえば元も子もなくなる…そう利己的ではないはずだから、どこかで人類と折り合いをつけて収まることを信じて…ゴールデンウイークは京見物で静かに過ごす予定です。

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新年ご挨拶 2022

皆さま  明けましておめでとうございます。昨年9月末の緊急事態宣言解除から、新型コロナ オミクロン株の席捲まで3か月の休息でした。皆様から今年もたくさんの年賀状を頂き感謝しております。この場を借りて厚く御礼申し上げます。

Hana-hiiragi  Photo_20220106083401柊の白、南天の赤、年末の大原と初詣の北野天満宮で撮影しました。恒例だったホテル大宴会は、仕事柄 今年もご遠慮。我が家のおせちテーマは巻き○○ニシン昆布巻き、ゴボウと人参の矢幡巻、鯛の龍皮巻き、だし巻き卵。自慢の柔らかい黒豆は30年来のレシピ、さび釘の代わりに鉄卵(ナスのぬか漬け用)を代用。ガスの火力調節に誰かがつきっきり、28日から取り掛かって30日朝に出来上り。ソフトニシンができて楽になったニシン昆布巻きも半日がかり。31日に田作り、カズノコ、紅白なます、菊花かぶ、サケのヨーグルト味噌焼き、養老エビを仕上げて蒲鉾を飾り切りしてお重に詰めます。端っこをつまんだり、味見と称してポイ!頻度が最も高いのは田作り、昆布巻きのニシン、黒豆は固いんじゃない?甘いんじゃない?味見頻度も高い。えっローストビーフと花びら餅がない❓予算縮小で本年は取りやめ。シャンパンを張り込んでいますしね。

Photo_20220106075801   Photo_20220106075802  初詣は、露店.屋台でにぎわう北野の天神様へ。名物に旨いものあり、長五郎餅ご家庭用を求めて家族で一服。

 Photo_20220106075803 Photo_20220106075901Photo_20220106093101春着は、毛馬筋の江戸小紋、帯は名古屋の青海波。ちなみに昨年の顔見世(やはり行きました)  着物は、小倉淳史先生の付け下げでした。疾走する虎に振り回されるか?人類の英知を見せる寅年になるか❓本年もよろしくお付き合いの程を!

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