少し春ある
大寒に入った途端3月中旬の温かさ、昨冬からのインフルエンザが猛威を振るっていて子育て世代には厳しい毎日が続く。皆様、大丈夫ですよ。 大切な赤ちゃんにとって一番怖いのは脱水症ですから、母乳やミルクをしっかリ飲んで、透明な尿が6回/日 だったら申し分なし。パートナーとはお互いの心身を気になされば、インフルエンザはカンニンかんにんと退散します。 我が家は、気持ちを落ち着けるために北山の植物園に出かけました。北山側から入るとすぐに芋虫レストランが目につきます。
まあ優しいこと!
蝶になる前の芋虫様が食される植物を育てておられるのね。 それでは植物園の名物、樹齢100年の楠並木を歩きましょう。ほとんど人に出会わず、空気清浄の別世界、何かホッとするねと横道にそれて、足元を見ればスノードロップが咲き乱れている。蝋梅がつつましく咲き、白と紅の山茶花も美しい。山茶花と椿のちがい?山茶花は花びらがハラハラ散り、椿は一輪ポトッと落ちます。梅はまだですが、春の予感がします。
清少納言の枕草子は『春はあけぼの(いとをかし) やうやう白くなり行く山ぎは……』で始まる。明るく弾けるような語り口、生きてるって素晴らしい、恋もすれば褒賞にも預かる?この枕草子の第102段に「少し春ある心地こそすれ」今回のタイトルの由来が出てきます。
二月の空は暗く風も強い日に、宰相 藤原公任さまの使いが(清少納言=青女)のもとに来て懐紙に「少し春ある心地こそすれ」とある下の句を見せ「さぁさぁ青女様、急ぎこの句の上をお付けください」公任のこの句は、白楽天の
三時、雲冷ややかにして 多く雪を飛ばす
二月、山寒うして少しく春あり の詩句からきている。まあ どういたしましょう(一応困った姿勢を見せます、頼りの中宮定子さまは一条天皇様とご一緒だし……) 寒さにぶるぶる震えながらつけた貞女様の上の句は、「空寒み 花にまがえて散る雪に」 あっぱれ見事です。
この雪の花は梅、平安時代の大宮人はさすがに教養高くて、どなたも自身の頭の中にすぐ引きだせるパソコンを装置しておられます。第102段の出来事がいつ頃だったか不明ですが、もしかして長保元年(999年)??。この年は、六月に内裏が炎上し、8月には実家が没落した中宮は,2番目の御子ご出産のため 大進 平 生昌(たいらのなりまさ=中宮職3等官)邸へ行啓された。24歳で身罷られた定子皇后には、辛いとか苦しいとか他者を恨んだりのお言葉は全くない。にこやかにゆったりと構えて見事に生き抜いた。 清少納言の意地が永遠の定子皇后を記録したのでしょう。
二曲一双の屏風絵は、1947年に小倉遊亀画伯が発表された磨針(摺針)峠。 磨針峠は、滋賀県彦根市の中山道にあります。右に厳しい修行に耐えられず、苦悩して逃げ帰ろうとしている若い僧、左は石で斧を研ぐ老女。両者の視線が中央ではっしとぶつかって火花を散らす。僧は老女に「何をなさっておいででしょう」老女(実は観音様の化身)『たった1本きりの大切な針を折ってしまったので斧を磨いて針を作っております』。若い僧は己の未熟さにはっと気が付き、修行に励み、のちに弘法大師様になられたとか…この若い僧侶って空海さまでしたか。小倉画伯は第二次世界大戦2年後に、この絵を出しています。敗戦でそれまでの価値観も何もかも変わってしまった‥でも画伯は己の生き方を日本画で貫く、筋の通った生き方を致しますと。 私はこの絵に1996年に出会い、以後滋賀県の近代美術館に時々行って励まされておりました。若いうちは己を磨け甘やかすなですね。エッ、中高年齢層??心身若いとご自分を評価されるなら鍛えましょう。
もうす ぐ節分、私は椎茸を戻して煮たり、干ぴょう3パックを戻して塩もみ、ゆっくり茹でて長さをそろえ煮ております。これはトレーニング用、植物園から戻ってワイワイ、巻きます。もう少し色が欲しいので本番をお楽しみに。
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