水にはじまる
11月12日の日曜日、姪が大阪の中央公会堂でめでたく結婚式を挙げた。京都から京阪で淀屋橋下車、北の堂島川を見ながら大阪市役所を右折、南の土佐堀川沿いに国の重要文化財の中央公会堂に到着。滔々と流れる2本の川の間の中之島、水の都大阪の文化と芸術のシンボルである。
花嫁をエスコートして入場した父(私の弟)は、緊張でカチカチのロボット歩行。人前(ジンゼン)結婚式で、証書にサインする花婿.にこやかに立つ花嫁。人前結婚は最近のスタイルで、出席者が証人らしい。両家のご両親と花嫁花婿、式が終わって皆さま、ほっとしたお顔です。
この大正ルネサンス方式の外観,内部のステンドグラス、披露宴会場のシャンデリア、圧巻❕豪華です。お決まりの来賓祝辞、乾杯の音頭と続いてホテルから運ばれたコース料理に舌鼓、公会堂内は火気厳禁なのでサービス係の工夫がスゴイ、美味しい料理です。
凝りに凝った宴の企画.展開、見事な料理にまんぷく満足していたら、突然のご指名で親類3名がお色直しに退席する花嫁をエスコートすることに。私達はマゴマゴもたもた、勿論、一番落ち着いていたのは笑顔絶やさずの美しい花嫁です。いやー、良い結婚式でした。 10月下旬に小学校の同窓会で行った難波の道頓堀川と言い、この中之島と言い誠に大阪は水の都、人出も凄くて繁盛している象徴。とっぷりとくれた京阪四条に戻って四条大橋から見る賀茂川も良いですね。
行って来ました第75回正倉院展! 図録の表紙を飾るのは楓蘇芳染螺鈿槽琵琶(かえですおうぞめらでんのそうのびわ)、国家珍宝帳第一番記載の九条刺納樹皮色袈裟(くじょうしのうじゅひしょくのけさ)。幅253×縦147cm、法衣の上から左肩を前後に覆って使用されたのでしょうか 細かい模様がいっぱいの絹は、御袈裟幞袷(おんけさつつみのあわせ)袈裟九領を大切に包んだ風呂敷ですね。東大寺の大仏開眼会は752年4月、聖武様は4年後の756年5月に56歳で崩御され、その四十九日に光明皇后が遺愛の品々を大仏に捧げたのが正倉院御物の初めです。①大仏開眼会に関わる品々 ②聖武様遺愛品 ③薬物 ④東大寺運営にかかわる品々 大好きな古文書はここです。
ひげがあるのにちょっとベソをかいた男性,麻布に墨書きした素朴な布作面、中倉に29枚、南倉に3枚(女性は1枚他は男性面).楽舞で使用されたかな。古文書は、正倉院古文書正集第20巻―下総国葛飾郡大嶋郷戸籍(下総の国の住民名簿),今の東京都葛飾区と江戸川区付近に居住していた人々のもので721年‐722年のもの。最後は平螺鈿背円鏡(へいらでんはいのえんきょう) 径39.3cmの銅鏡の裏はヤコウガイ,琥珀、トルコ石で飾られた絢爛豪華なお品。
なんだか多忙な10月11月だったなーとベランダに出れば、隣家の柿が熟してここだけは短い秋でした。
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