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2021年4月

胡蝶の夢

 感染力が強く重症化しやすい新型コロナ変異株の流行に歯止めがかからない。関西圏を中心に東京も加わった3回目の緊急事態宣言が4月25日ー5月11日で発出されて今日で5日、感染者数はむしろ増加している。庶民の日常は、不要不急の外出.外食を控え、自宅と職場の往復だけ…なんの楽しみもない?いえいえそれが結構あるんですよ。仕事場の玄関には,兜の屏風をバックに花はシャクヤク、布細工のこいのぼりを飾っている。
 Photo_20210429215701  Photo_20210429215401長岡京のF様から朝掘りタケノコが今年も届いて、家じゅう大喜び❣   我が家流筍のゆで方は、寸胴鍋にコメヌカひと掴み、丸のままの赤唐辛子2本、外皮2枚ほどはがして穂先は5センチ切り落とし、縦に一筋切れ目を入れて準備完了,水からゆっくり1時間位湯がいて一晩そのまま置いてあく抜きする。翌日きれいに皮をむいて根本は固いので5センチくらい輪切り、あとはタッパーに入る大きさに切り分け冷蔵庫で保存、毎日水替えが必要。私のお得意はタケノコご飯や筍とわかめの炊き合わせ、家人や若者たちは、チンジャオロースや薄きり筍とスモークトサーモンはさみ揚げなどを各種お試し中。

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先日久ぶりにタブレットで週刊朝日に目を通していたら,司馬遼太郎(1923⁻1996)の「胡蝶の夢」の副主人公,佐渡の伊之助を紹介していた。読みたい!四条大宮からブックファーストが消えて4か月、JR二条駅の書店まで4冊を求めにゆき,グータラな私が集中して4日間で読了した。幕末ー明治にかけて蘭方(オランダ医学)を学んだ松本良順が主人公、体系的に医学を学んだことがない良順たちが、長崎でオランダ軍医のポンぺに師事して基礎から医学を学び激動の幕末を生き抜く。佐渡の伊之助はサヴァン症候群を思わせる記憶の天才で特に語学に優れ、オランダ語中国語ドイツ語英語と貪るようにわがものにしてゆく。世間からどこかズレていて、松本良順を師と慕うほかは関 寛斎位しか彼を人間扱いしない。オランダ医学を学ぶには、オランダ語は必須、蘭方医の卵たちは死に物狂いで勉強しているのに、伊之助一人スズシイ顔であっという間にマスターし、発音も抜群。伊之助の異才が重宝もされ憎まれもする。伊之助も良順についてポンペに学び、一応医者…になる。39歳で喀血死した伊之助に作者の筆はどこまでも温かい。良順も伊之助もまだ知らない、ドイツ医学を体得した森鷗外たちの足音がそこまで迫っている事を…

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タイトルの「胡蝶の夢」は、戦国時代の中国の思想家荘子荘周  BCE369ーBCE286)からきている。ある日荘周 は、夢で胡蝶になり喜々として舞っていた。はっと目覚めればこれはしたり,蝶ではなく荘周ではないか…この私 荘周が夢で蝶だったのか、実は私は蝶であって、夢で荘周となっているのか…  荘周と胡蝶とには確かに、形の上では区別があるはずだ。しかし主体としての自分には変わりは無く、これが物の変化というものである。うーん、難しいこと抜き!でも「胡蝶の夢」は楽しめた。

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雨上がりのクレマチスや紫蘭も春を満喫しているよう。さて暗いゴールデンウイーク、5月4日はお仕事して時間を過ごしましょう。

 

                          









 

 

 

 

 

 

 

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吉野を歩く

   桜の頃に吉野を歩く…4月1日 願い続けた夢が叶った。旅行会社がチケットから昼食まで準備してくれる1日パックツアーに4人で参加,京都から近鉄特急で橿原神宮へ、ここで吉野行き特急に乗り換え。橿原神宮 - 吉野間は25.2㎞、急峻な山岳で勾配は強いしカーブの連続、おまけに単線なので40分 かかる。Photo_20210404140201

おかげで停車するたびに、古代を連想させるゆかしい駅名に大興奮の私、橿原神宮の次は飛鳥 -壺阪山-吉野口 - 福神 - 下市口 - 六田 - 大和上市 - 吉野神宮-終点が吉野駅、古墳群の飛鳥はここね、壺阪霊験記はここが舞台と大喜び、でも世代間ギャップは大きく3人にハミルされた。
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吉野で手配されたケーブルカーに乗り換え、散り始めた下千本の桜を眼下に愛でつつ5分で金峯山寺のある終点に到着。
今回の吉野行きは桜もさることながら、特別公開中の金峯山寺蔵王堂の3体の秘仏を拝することが大目的。金峯山寺は役小角(えんのおづぬ)様を開祖に山中を駆け巡る修験者たちのメッカであり、私たち一般人には祈りの場である。

Photo_20210404135901吉野が桜の名所になったのは、役小角様が修行中に岩山から金剛蔵王菩薩が出現,感激した小角様が桜の木で、その像を彫ったことに始まる。以後桜は神木とされ修行者は桜樹で、権現像を彫って祀り、祈願する者は桜の苗を寄進したという。平安時代の藤原道長様も1007年にここを訪れ、経塚を築いて弥勒様が下生されるまで金剛蔵王権現様たち、お経を守ってねと祈願、金剛蔵王の命名はあの道長様だった。

20210403_151437_new_new  Photo_20210404140701日本最大級の秘仏大迫力の金剛蔵王権現立像、青黒いお顔は憤怒の形相ですが、叱りつけてでも大いなる慈悲で無知な私たちを導き、助けてあげようとなさっているそう。大きいお像で左から弥勒菩薩5.92m、中央釈迦如来7.28m、千手観音6.15m、さらに近くに寄って悩みを打ち明けよと発露の間に案内されます。吉野は飛鳥時代の斉明女帝(天智,天武天皇の母)、持統女帝(天智天皇の皇女で天武の皇后)をひきつけ、後醍醐天皇をして南朝を開かせ、義経と静御前の別れの場となった。江戸時代の俳人各務支考(かがみしこう)は、歌書よりも軍書に悲し吉野山と詠んだ。

    Photo_20210404190801スマホの歩数計は11000歩を示して、歩きに歩いた吉野山、 下山は、ケーブルカーよりも風情のある奈良交通バスでうねうねとシロヤマ桜を楽しみながら45分。吉野町観光案内所前にあるポスト、お土産は香しい吉野杉のお箸です。

 

 

 

 

 

 

  

 

 

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