敦盛(あつもり)
京の師走は歳末大掃除(?)に始まり、文字通り走るお坊様に来て頂いての先祖供養,そして女子のお楽しみ南座顔見世と続くのがお決まり。その後も大晦日まで何かと気忙しく、仕事を持つ私など立ち働いてのお正月が常であった。コロナ禍だし今年の顔見世は無理かも…諦めていたのに桟敷が取れて、嬉しさ100倍!今年も行ってきました、顔見世2020‼
開演を告げるきのねが響き、一幕目の寿二人猩々(ことぶきににんしょうじょう)が始まった。
舞台には唄い方.囃子方が黒の粋な三角巾マスクでずらりと並んでいるが、見事な適応ぶりで微塵の違和感もない。
南座はかなりのコロナ対策,通常なら2人の桟敷も1人席にしたり、花道両横の3列はベルトが張られて観客を制限、 公演期間も2週間だけ、演目も二幕に絞って3部制をとり一部2時間程度、マスクを外しての飲食など論外。 観劇着物は、来年の干支ウシにちなんで紫と白の格子の牛首紬にクリスマス柄の名古屋帯です。
二幕目は一ノ谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)熊谷陣屋 ご家族がコロナ罹患の仁左衛門休演で、錦之助が主役の熊谷直実(くまがいなおざね)を務めたが素晴らしい舞台だった。 1184年3月20日、源氏軍の総大将 源 義経が一の谷(現在の神戸市須磨付近)に陣取る平家軍に奇襲をかけ、平家は壊滅状態となった。 直実は源氏軍として平家軍の平 敦盛を討ち首級を上げる。笛の名手敦盛は、直実の子小次郎と同じ16歳(いざよい)。 お芝居では義経の御前で見せたのは小次郎の首だったという設定。義経の命に従って敦盛を助けて忠義恩義に報い、最愛のわが子を犠牲にした直実は、(小次郎との)16年は夢であったなとつぶやいて出家する。これに題材をとった幸若舞 敦盛は世の無常を悟って出家する直実の心情である。
その一節「人間(じんかん)五十年下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり」は、敦盛の死から約400年後の1582年6月、織田信長が火中の本能寺で最期を迎えた時にこれを舞いながら謡ったとの説がある。人間界の50年は下天の一昼夜とか 生きるための競争に揉まれ続けた団塊の世代(粗製乱造の世代)の人々は、信長の生涯を描いた津本陽さんの「下天は夢か」に共感し、信長の諦観に己の生き方を重ねた。
12月17日初雪 屋根にも車にもうっすら積雪、つわぶきが花咲き山茶花も美しい。適応しながら生きるため、食欲全開、 今夜は昆布〆の鯛と湯豆腐でいかがでしょうか
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