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2019年7月

桶谷先生はねむる 常習山蓮光寺

今日は海の日、京都は祇園祭りの宵々山とあって四条通をそぞろ歩けば風に乗って祇園囃子が流れてくる。つい1か月ほど前の6月中旬、所属する団体の会議が金沢市で開かれた。その会議の前に恩師 桶谷そとみ先生の墓参をと早朝5時ホテルを発ち高岡の常習山蓮光寺に向かう。蓮光寺の歴史は古く1491年、井波に創建されたことに始まる。2回の移転を経て現在地に落ち着いたが境内のこの山門は、加賀藩ゆかりの国宝瑞龍寺建立に多大に協力したお礼にと3代目当主 前田利常候から拝領した由緒あるもの。

Photo_20190715092801  Dsc_1075 Photo_20190715095001  Photo_20190714154101墓地には、江戸時代島原の乱後に加賀藩お預けになった転びキリシタン達が死亡後に土葬されており、2本のケヤキの下には十字架まである。歴とした真宗大谷派、お念仏のメッカのお寺に十字架ちなみに私が住み込み修業した1979年頃の大工町(桶谷先生の旧居)では、夜にお念仏がしめやかに流れ、謡「敦盛」何十回も聞いた。 にこやかな表情の先生との2ショットは1985年泉南の研修センターでの撮影、どんなに願っても先生に甘え御夫君庄蔵氏に「石の上にも5年だなあ」とからかわれていたあのころが再び帰るはずもなし…  厳しい高岡の気候風土、夏の蒸し暑さは京都以上、扇風機が緩やかに風を送るだけの治療院は満員順番待ちでも辛抱強く静かに待っておられた。冬は20㎝を超す積雪の中、兵児帯で赤ちゃんを斜めに結わえ(元祖スリング)、ねんねこ袢纏の上に角巻きストール 長靴で治療院に通われていたお母様たち。先生のお姉さまは明治生まれだが女学校卒業後シスターになられ、桶谷先生のよき理解者協力者であり、昇天まで数日違いという仲のよさであった。墓参でこの十字架に遇うたび、粘り強く寡黙な高岡の人たちの靭さと優しさ,暖かさはこの風土が育てたのだとしみじみ思う。この地で先生は生れ育ち、中国から引き揚げて治療院を開いて母乳の母と慕われ,泉南に居を移されてからも高岡の食スタイルを崩さず、折に触れ懐かしんでいた高岡、先生ご夫妻はこの蓮光寺に永眠されている。

Dsc_1101Dsc_1103Dsc_1100今回特別に拝観させていただいた本堂は、8年前に落慶リニューアルされたが現在もその輝きを保っていて、昨日落慶しましたと説明されても納得でした‼  この蓮光寺に慶事です、30数年前に赤ちゃんだった若院(桶谷先生にお世話になった)が先日本堂で、若く美しい女性と華燭の典を上げました。おめでとうございます!  伝統と歴史のあるお寺を守り受け継ぎ、次世代にバトンタッチは本当に大変でしょうが 若いお二人のこと、きっと大丈夫です。

Img_2784 Img_2785金沢駅でのスナップ,塩沢の単衣は所沢の大平愛子先生からいただいたもの、帯は赤坂福田屋の八つ橋の名古屋    唐衣(からごろも)着つつ慣れにし …の業平からでしょうか。   

 

 

 

 

 

 

 

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