雨に歩けば
秋雨前線の停滞と週末台風で雨が続いた10月後半の休日の朝。職場の四条大宮からJR二条駅までの1.1㎞をゆっくり歩いて往復してみた。うちの助産院の若いママたちの元気なこと、よく歩く話に刺激を受けて思い立った訳。凄いんですよ、みんなは!大宮から河原町なんて序の口、中には京都駅まで歩く豪の者もいる。自宅も職場も名所旧跡だらけの市内にあるのに、歩かない足はありません 。大宮通を北へ進み、三条商店街のアーケードを抜けて二条城のお堀の南側の押小路通に出る。
押小路を西に行き、神泉苑を過ぎて美福通りの信号を見上げる。北は丸太町から南は押小路まで、二条城の西側を走る短い通り。平安朝の初め794年に平安京大内裏の外郭十二門の一つとして美福門が建てられ、壬生氏がこれをを監督していたから、みぶ→びふくとなり門は消失しても通り名は残った。第七十四代鳥羽天皇の寵妃で七十六代近衛天皇の生母、藤原得子は女院として美福門院を名乗っている。この美貌の美福門院様中々の策謀家で近衛天皇が薨去した後、信西入道と組んで保元の乱の要因となる崇徳上皇追い落し作戦に出て、後白河天皇を即位させたことで有名。崇徳上皇と後白河天皇は2人とも鳥羽天皇の中宮だった待賢門院璋子の子ですから、保元の乱は実の兄弟同士で骨肉相食む戦を繰り広げたことになる。
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子夜呉歌 李白(701~762)
長安一片の月
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萬戸衣を打つの聲
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秋風吹いて尽きず
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総て是れ玉関の情
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何れの日か胡虜を平らげ
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良人遠征を罷めん
長安の街 を照らす侘しい月、冬支度の衣を打つ音が多くの家から響いてくる。ずーと秋風が吹いている、玉門関を通って憎い異民族を平げに行った愛しい夫はいつ帰ってくるのだろうか
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