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2016年5月

巨星墜つ  武田一子先生を悼む

訃報は突然だった。助産学生時代の友人Mさんから,5月5日夜間に武田一子先生が亡くなられたと、電話で伝えられた。巨星墜つ…あまりの衝撃に茫然と立ち尽くしていたが、私は たくさんの患者様を抱える身、泣いてなどいられぬと自分を励まして長い一日を終えた。85歳の先生は、ゴールデンウイーク中の5月4日も気になる患者様を診て、当日もご家族と昼食を伴にされ、下見してあったジャケットを試着して購入され、その直前まで原稿を書いていらした様子だという。

    _9410   19811  先生との出会いは、私が助産学生だった40年数前に遡る。当時40歳になられたばかりか、いつもおシャレ!で、颯爽と教室に入って来られる武田先生は憧れの的だった。その頃は、病院分娩全盛、助産院分娩は衰退の一途、産婦人科医たちからしばしば「助産師不要論」が噴出した。その中で、この手の技術を後世に伝えたいと武田先生や開業助産師の大先輩たちは堂々と講義で述べられ、助産師がどんなに素晴らしい職業かを熱く語られた。その大先輩の武田先生と桶谷式の団体でご一緒になり、いつも1歩どころか100歩くらい先を見据えて、桶谷を発展させてくださった。この古い写真は、1986年 私どもの相談室を使って 哺乳瓶<母乳相談室>開発に向けて口腔内ビデオを撮影してるところ。P社研究員大貫氏が口腔内ビデオで、母乳を飲む赤ちゃんの口の中と頬の筋肉の動きを観察しているところ。中央赤いセーターが武田先生、ストップウォッチを持つグレーのシャツは私です。<母乳相談室>は現在も、十分愛され活用されている。Photo_2Photo_3  武田先生との最後の仕事になったのは、恩師桶谷そとみ先生の論文集を会員向けに製本する事と、後に『想伝』として会員向けに出された生涯編と技術編のビデオ作製であった。桶谷先生の手書き原稿は右の内容のようにイラストが多く、読み込むのに非常に苦心した。幸い、論文集≪乳房治療による乳汁分泌刺激≫は会員のKさんが粘り強く原稿打ち込みに協力してくれて何とか形になった。この本の表紙の色は古代の貝紫を思わせる深い色だが、うちのカメラとスキャナのせいで青藍になってしまいました。すみません。ド素人の私が、残されたVHS形式の54本をDVDに直し擦り切れるほど見て何とか2本のビデオの土台を作った。もちろん編集のプロ、浜谷先生のお力を借りての完成である。あれもこれも武田先生の発想から生まれ、よちよちオタオタの私たちを時に叱咤激励し、ときに美味しいフレンチやステーキハウスで飴をなめさせ、思いもよらない発想で私どもに驚きを与えてくださったお陰だった。まだまだ先生に頼りきっていたのに…

Photo_3  Photo_2先生、芳名板のたくさんのお花をご覧になられましたでしょうか?面倒見が良くて気風が良くて、たくさんのカミナリも落とされましたが、それ以上にお世話になり可愛がって頂いた私たち後輩が先生をお慕いしての花花花です。最後に私の好きな漢詩,唐の詩人王維の孟浩然を送る歌でお別れです。 

         哭孟浩然   王維

故人見不可  漢水日  嚢陽老 江山空蔡州

« 人見るべからず   漢水日に東流す  問す嚢陽の老 

江山空しく蔡州あり»

例により超訳です。52歳で孟浩然さんは逝ってしまった、もう会えない…ただ漢水が東へ東へと流れてゆくばかり。40歳の私王維は、嚢陽の長老に孟浩然さんの在りし日の面影をお尋ねしたいが、川を見ても山を見てもむなしく、漢水に浮かぶ島蔡州を見るばかり。有難うございました。武田先生 安らかに。

 

    

  

 

  

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