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2010年10月

ませ(籬)の白菊 

籬 (ませ)は、竹や柴で目を粗く編んだ垣根です。今回は古今著聞集〉の「刑部卿敦兼と北の方」のお話、高校の古典のテストに出ませんでした?

ませの内なる白菊も

うつろふみるこそあわれなれ

われらがかよひてみし人も  かくしつつこそかれにしか

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刑部卿とは刑罰と司法を担当する刑部省長官で冠位は正四位下、太政大臣など上から数えて十番目、江戸時代で言えば大岡越前守とか遠山の金さんでしょうか。とにかくこの刑部卿 敦兼サマは容貌が醜いことで知られ、その北の方(奥方)は美女で有名 平安時代版 美女と野獣?カップルです。

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深窓の姫として育ち、世間知らずで親に言われるまま、醜男の敦兼様に嫁いだ北の方は「殿方というもにはこんなもの」と思って、かいがいしく夫の世話をして仲良く暮らしていたのです。 ところがところがこの北の方がある時、五節天皇即位後の祭事などで、舞姫などによる舞楽を中心とした行事を見物してびっくり仰天 ヒェー、うちの敦兼様なんてモノの数にも入らない、世の中はこんなにもハンサムで満ち満ちているのに、よりにもよってババを引いてしまった、もう夫の世話どころか顔も見たくないとなりました。

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北の方の心に嵐が吹き荒れているとも知らず、刑部卿さまは、「今日もよう働いた、疲れ切ったから早く帰って美しい奥方の顔でも見て癒されよう」と帰宅しますが、北の方は目も合わさず、横向いてふくれっ面、 ものも言ってくれません。奥方の意を受けて召使も刑部卿さまのお世話をしませんから、日が経つにつれて このご夫婦はもうアカンという変な雰囲気です。こんな日が続いたある夜更け、灯もなく誰も迎えてくれない真っ暗な家に帰宅した刑部卿さまは、心を静めて篳篥(ひちりき)を吹き、心をこめて「ませのうちなる白菊も…」を繰り返しうたいます。垣根のうちの白菊が枯れてゆくように、あんなに仲良かった私たちも離(か)れてゆくんだね、これを聞いた北の方は哀調込めた篳篥演奏と歌声にたまらず涙して、心を戻し また刑部卿サマと仲良く暮らしたんですって。 古今著聞集の作者、橘成季さんは、「優(いう)なる北の方の心なるべし。」と北の方を褒めています。これにて1件落着 めでたしですが 刑部卿敦兼さまの起死回生策の篳篥は、枕草子の清少納言によれば「下手が吹けば秋の虫ならクツワムシ、上手な楽人が吹けば妙なる音色」と例えられていますから、刑部卿さまは楽人にも負けないくらい上手に演奏され、またよい声で歌ったと思いますよ。 

Matutake

季節がすっかり進んで、微かに金木犀が匂っていることにも気が行かず只々仕事に追われる慌ただしい日々でした。7月の 「祇園祭」で30年の経験があっさり打ち砕かれた重症トラブルを経験したと書いた後も、開業以来初めてという困難な膿瘍切開が続き、心身ともに疲労困憊、「開業することは身を削って仕事すること」と思い知らされ今後も助産院で乳腺膿瘍を引き受けられるかと珍しく弱気が出ます。  が桶谷そとみ先生に教わった30年前とは、乳腺炎の病源菌も格段に耐性を獲得してcareは難しくなり、患者様との相互の信頼や個人の努力でどこまでできるか?  思い悩む日々が続きます。心配した家族や知人が10月が誕生日の私のお祝いをと豪勢に丹波産マツタケをふるまってくれました。左側にはシブーい中年の調理長が炭火でマツタケを焼いてサービスしてくれる趣向、写真がボケているのはあまりの感激に手が震えた上に、早く頂かないとマツタケ争奪戦が始まるのではと卑しい考えがよぎったせいでしょう。  えッ弱気は似合わない?大丈夫  そんなこと言いましたっけ?と早くも充電完了モード、毒舌もゼッ好調です

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