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2010年8月

    遊びをせんとや

暦の上では立秋を迎えても、まだまだ暑い暑い」毎日ですね。

Photo  Photo_5Photo_2  その暑さを忘れて 心が寒くなった大阪の育児放棄事件。 離婚した23歳の母親は、美しい名前を持つ3歳と1歳の姉弟をガムテープを貼った一室に閉じ込めて1か月以上帰宅せず、2児が飢えて死亡した悲しい出来事です。   私の助産院に通う母親たちは、2歳の母親に対し 「とても他人事とは思えない、だれも相談する人がいない子育ては辛かっただろう」と口を揃えます。 ただただ2人の子供たちに思いをはせ 飢えて汚物にまみれて死ぬなんてみじめ過ぎるこのニュースを目にする度に お風呂に入れてさっぱりと着替えさせ「抱っこしてワタシの母乳を飲ませてあげたい!」という強い衝動で胸が痛むといいますBonyuuPhoto_3 Img_0022平安時代末期に後白河法皇が編んだ「梁塵秘抄」リョウジンヒショウー今様(イマヨウ 当時の流行歌)の一節。  「遊びをせんとや生まれけむ (タハブレ)せんとや生まれけん 遊ぶ子供の声聞けば 我が身さえこそ動(ユル)がるれ」  こどもは何のために生まれてくるのか  遊んでいたずらして可愛がられるために生れてくるんだよと謳っているのです。 平安末期は貴族支配が衰退しつつあり 武家の台頭でチェンジ!のまっただ中、 後白河法皇は 昨日は平 清盛、今日は義経、明日は源 頼朝と次々組む相手を換えして権謀術策で生き抜きます。 譲位後も院政を敷き34年も君臨して権力を誇り、 さいころの目、賀茂川の水と比叡山の僧侶以外は思いのままと揶揄されました。 しかし 「梁塵秘抄」誕生の背景には、皇位をめぐっての父 鳥羽天皇と 兄 崇徳院の権力争いがあり、崇徳院が敗れ 異母弟 近衛天皇が即位します。忸怩たる思いを秘めて 皇位争いとは無関係の今様狂いの親王と称され 白拍子やクグツ師といった底辺を生きる人々とも親しく交わり 今様を謡うこの人々が死ねばこれらの歌詞も霧散してしまうと「梁塵秘抄」を編みます 近衛天皇の急死で皇位が巡って来るのですから運命とは不思議なもの。     今様の歌詞には、底辺を生きる人々の喜び悲しみとともに法皇のような雲上人の心をも捉える何かがあったのです。Photo_4 おしまいは土用干しを無事終えて、私の梅干しは今 甕の中で1年の休息に入りました。いろいろ気をもんでいただきありがとうございました。

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