桶谷先生と私
恩師 桶谷そとみ先生が身まかられたのは2004年1月6日 今年は七回忌に当たる。 年初からそれが気にかかっていて、せめて墓参だけでもという思いがあり、先週やっと思いが叶った。 今うちに通院中のSさんのお母様は、 桶谷治療院のあった高岡の大工町にご実家があり 「乳腺炎になりましてね。この子を連れて毎日通ったんですよ。それはそれはお優しい先生で、私ら 嫁の立場もよーく解っとられて、ようしていただきました。先生の手が胸に当たるとそれだけで治った気持になるくらい、柔らかい手の感触は今も覚えております。神様の手でした。」と感謝を込めて語られる。
写真は、1985年9月、泉南市の研修センターで撮ったもの。 穏やかな表情の先生と若い日の私である。 この2年前、70歳の先生は、LLL(世界母乳連盟)から招待されて、講演とデモンストレーションのため アメリカ南部のカンザスシティまでの旅をされ お歴々とともに若輩の私もお供に加えていただいた。 この旅で 特に驚いたのは、先生が 何にでも興味を示され 何でも見ていこうという好奇心の塊のような方だったこと 食事に関しても一切注文なし、お見事な姿勢であった。 アメリカ旅行の写真を持参して泉南に伺うと、御夫君庄蔵氏の絶品大門ソウメンが振舞われる。 泉南では「 研鑽しろ 研鑽しろ 」と口が酸っぱくなるほどお小言もいただいたが可愛がっても頂いた。ご忠告もどこ吹く風、「先生さえ御存命ならいつでもお尋ねできるしお教えいただける」とタカをくくっていたのである。頼るべき柱を失って不肖の弟子は今頃 後悔している。 高岡の蓮光寺には 前もって連絡を入れておいたので、奥様が 「昨年もこの頃でしたね」 と待っていて下さった。
きれいに手入れされた町中の墓地の所々に 夏草が茂り始めていて静かな墓地は誰も来ない。
よくよく見ると2本のケヤキの下にまだ新しい十字架がある。えッ、何で十字架? 奥さまが「これは江戸時代の島原の乱で、加賀の前田家お預けになった転びキリシタンの人達のお墓だそうです。 三代にわたって監視されても、なかなか転びきれなくて、哀れに思った昔の人達が相談のうえ、十字架を建てて葬られたようです。 今でも探し探してお参りに来られる方もおられますよ。 十字架が古くなったので、つい最近新しく直したものですから余計目立って…」 北陸と言えば一向一揆、お念仏一色かと思っていたが、なかなかキリスト教も盛んな土地だったらしい。 それにしても、徳川の時代に檀家一同結託して、十字架を建てるとは、高岡の人達の優しさとつよさは測りきれない。 確か桶谷先生のお姉さまは、明治の末に高岡で生まれ育って、 女学校卒業後に修道院に入られシスターになられたとお聞きしている。 シスターは、母子の幸せに貢献する桶谷先生のことを認めてもらおうと当時の厚生省陳情の先頭に立たれたこともある。 高岡は、お念仏とともに讃美歌を受け入れるやわらかな土地柄であり、 桶谷先生の新しいものへの尽きせぬ興味、あくなき追求心、優しさはこの土地柄ゆえかとも思う。 最後は初心者マークの私の梅干しのご報告。4日後にはきれいな白梅酢が上がってきて重石を3kgに落としました。あと2週間 紫蘇を入れるまで、気を抜かず毎日梅のご機嫌伺いを続けます。
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