初心忘れるべからず
いやー初々しいですね。この4月、職場に来られた看護学科助産師過程の学生たちの実習風景です。はじけるような笑顔、いじらしい位素直で一生懸命で。
この人達へのはなむけによく使われる「初心忘れるべからず」本来とは別の意味で使っていることが多いようです。現代では、修行や学業仕事など、物事の初めに立てた目標や志、その時の思いを忘れてはなけない、最初の初々しさを忘れてはならない」という風に解釈されることが多いようです。実はこれは「初心」ではなくて「初志忘れるべからず」。「初心忘れるべからず」は、能の世阿弥の晩年の著書「花鏡」にある言葉。世阿弥さまの 「初心」とは、まだ物事を始めたばかりで未熟で慣れない状態のことを指しています。この格言の意味は「物事を始めた頃の未熟で失敗ばかりであった時の記憶――その時に味わった屈辱や悔しさ、そこを切りぬけるために要した様々な努力などを忘れてはならない」という意味とか…72歳で時の権力によって佐渡に流された世阿弥さま曰く、「 是非とも初心忘るべからず 時々の初心忘るべからず 老後の初心忘るべからず 」修行を始めた頃の初心を忘れてはならない。修行の各段階ごとに、各々の時期の初心を忘れてはならない。老境に入った時もその老境の初心を忘れてはならない。ヒトは一生勉強か… 世阿弥さまのの生涯をたどった瀬戸内寂聴氏の小説「秘花」、花も色気も十二分です。フレッシュマンやフレッシュウーマンが入社挨拶などで、「初心忘れるべからずと申します、迷った時は初心に還って」などというのは間違い、昔の未熟な自分、下手な自分に戻ってはいけないのである。 これはある程度その道を辿ったものが自らの中弛み、慣れによって生まれる慢心を戒めるために使うのが正しいらしい。
かくいうワタクシメも昔は、これを引用して「今のお気持ちを大切にして、母子に寄り添う良い助産師になってね。」なーんて訓戒を垂れていたのですから顔から火が出るくらい恥ずかしい。
| 固定リンク
最近のコメント