朝青龍賛
大相撲初場所も残すところあと2日、優勝争いは横綱の朝青龍と白鵬の2人にしぼられ、国技館内は日に日に熱気を帯びてゆく。思えば先場所、九州場所の館内はガランとして寂しかった。土俵の内外で話題を提供してくれる強い横綱、朝青龍様のお姿がなかったのである。それがうって変って今場所のこのにぎわい、引退さえ取りざたされた場所前の予想を見事に裏切って、日に日に横綱らしい相撲を堪能させてくれる朝青龍様の活躍あってこそである。 ご存じ68代横綱土俵入り、この赤いのは庚申堂のくくり猿、制限時間いっぱい、闘志満々で振り向いた横綱のお顔とジェスチャーが、くくり猿そっくりとひそかに思っている。
実家の両親が揃って相撲好きだった影響を受けて、今も時々相撲を見る。子供時代の記憶は、旧式のブラウン管というのか白黒テレビの前にどっかりと座って朝潮や栃錦、若ノ花などに声援を送る祖父の姿である。 母が幼い時、昔話のように聞かされた話では、母方の曽々祖父 F史郎様は、一時相撲取りになりたいと真剣に願われたとか。 F史郎様は16歳で御一新(1868年の明治維新)にあわれた。士族の四男で、体格だけがよく無頼の徒と呼ばれるに等しい乱暴者だったとか…天地がひっくり返るような御一新で、窮乏生活に突入、三度の食事にも事欠くのに、F史郎様の母上は、思いがけない大金が入ると米を買わず、上等のお茶を求めるお人柄だったとか。腹いっぱいご飯が頂ける身分になりたいとの相撲取り志願であった。 大分県の日田に親類があり、そこを頼って相談に行ったのは、「相撲の神様」と呼ばれた日田永季さんをまつった慈眼山永興寺にお参りするためでもあった。 しかし、親類の年寄夫婦から、日田殿(ヒダドン) と親しみをこめて呼ばれる永季さんの昔話を聞かされ、とても無理だと諦めたという。 「日田どんはなー身の丈6尺余り(2メートル以上)の大男でな、力の強い、気のやさしいオノコじゃったそうな。日田どんが 16の時、後三条天皇さんが京都で相撲の節会(スマイのセチエは1071年)を催されてなー、日田から召しだされて京に上る途中の川で、溺れとった童女を助けたそうな。その童女が「あなたは日田永季さんでしょう。都の相撲の節会に臨まれるなら 強敵の出雲の小冠者(イズモのコカンジャ)を倒さねば勝つこと叶いません。全身砂鉄を帯びた小冠者の弱点は唯1か所。額の真中の一寸ばかりが普通の肉です。ここを押すのです」と。 永季さんは言われたとおりにして出雲の小冠者を倒し見事優勝、その後15回も相撲の節会で優勝して相撲の神様になったげナ。ここで親類の年寄り夫婦の喧嘩が始まる。お爺さんは「出雲の小冠者が母の胎内にある時、母が『どうぞ、強い強い子をお授けください』と神仏に念じてお告げを頂いたそうな。 お告げで、毎日砂鉄を食するというたに夏の暑さでどうしても砂鉄が喉を通らんでの、1日だけ甘い瓜の誘惑に負けてしもうたんじゃ。そんで生れてきた出雲の小冠者は、身の丈こそ日田どんの半分じゃったげんど 全身砂鉄に覆われたみたいに真っ黒での、額の1寸だけが母者が1日瓜を食したために弱かったんじゃ…」と話し、おばあさんが「違う違う」と言い出す。「砂鉄みたいなそんなもん、身籠った女は食せません。 毎日生の小豆を食したんやけんど、1んち忙しいて忘れただけ。」 喧嘩はなかなかやまず、お爺さんは「出雲は出雲タタラ言うてな、鉄の産地や、砂鉄こそあれ小豆など無いわ」と切って捨て、おばあさんは「ウリができるのに小豆もできますやろ」と譲らなかったとか… F史郎様は深くご自分を恥じ、年こそ日田どんと同じ16歳なれど無頼に近いご自分の生き方では相撲取りは無理と諦めて、船会社に所属したと母は聞かされたとか。それに、F史郎様の母上は砂鉄や小豆どころか米もロクに頂けなかったのですから、額の1か所くらいではなく、ご自分の体は弱点だらけだろうと。
慈眼山永興寺 には、日田どんの永季さんが寄進した兜跋毘沙門天(トバツビシャモンテン)があり、坐した女人の両手で支えられているとか。トバツ国は西域のトルファン。毘沙門天は多聞天とも呼ばれ、戦の神様とされ、古くは川中島の戦いで知られる上杉謙信が深く帰依したことで有名。土俵の戦いに臨む力士として日田殿も信仰したのであろう。現在も神聖な土俵だからと女人は上がれない鉄則だが、なに、そんなこと大したことではありませんね。毘沙門天を支えている女人のようにこの世を支えているのは女性ですよ。さて、今夜は雪模様、特等席のテレビ桟敷で青龍様にエールを送りましょう。頑張れ、横綱朝青龍!!朝青龍様はよくよく見れば赤ちゃん顔ですね。両頬 がぷっくり盛り上がって母乳育ちの賢い赤ちゃんの典型のよう。ここでうちの可愛い5人の朝青龍ちゃんたちをご紹介。
眠り龍ならぬ眠るAKIRAちゃんは3か月。続いてお嬢様と見まがう 兄SOMAくんは3歳。
髪がまばら美少女予備軍2人は、上がSOMAくんの
妹
YURIKAちゃん2か月 下の右YUNAちゃん5か月。最後の黄色いスタイのRYUちゃんは2か月、今回は2世(チチかハハがここの卒業生)および兄妹シリーズです。どうです、母乳育ちのこの子たちのの愛らしさは!ただの身びいきなのでしょうか
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