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2008年11月

現代の女君たち

今年は源氏物語が世に出て1世紀ということで、それを記念して京都ではさまざまな催しや式典があった。身近では、洋風レストランで「源氏ゆかりのお得なお料理Photo_3 」もあって、それはそれで中々楽しめる。

紫紅社から「染司よしおか」の吉岡幸雄氏の「源氏物語の色辞典」が出版され、早速購入して眺め入る。 上は、「若紫」の巻で後に源氏の最愛の人となる10歳の美少女、紫の上が着用していた「山吹襲」。これを着て、紫の上は走って登場するのである。 この2枚の写真は「源氏物語の色辞典」から借用。

Photo_5それが、20年後の「玉鬘」の衣配りでは、紫の上のお衣装は、「紫根で染めた葡萄染(エビゾメ)の御小袿(コウチギ)」となり、堂々たる六条院の女主人となっている。紫の上にこそふさわしい葡萄染の選択、さすが光源氏様、色好みですね。

ところで、1000年を経た京の現代の女君たちをご紹介致しましょう。「笑顔良しはゴンタ」同様、将来の美姫たちも、ただ今は母乳科オシメ属ばかりです。若紫では、紫の上の美少女ぶりを「いみじくおひさき見えて、美しげなる容貌なり」と形容していますが、うちの女君達も「いずれアヤメか杜若」百合にも牡丹にも見まがう愛らしさです。Photo              

まずは、まだ黄疸が残る光源氏の君ならぬTOMO様登場。生まれて10日です。

お気にいりのベビージムで遊ぶwakana 姫。

Photo_2

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源氏物語よりはるか昔の「竹取物語」のかぐや姫を連想させるharuka 姫。

ふっくらほっぺ・黒髪のリトルプリンセスはsiori  様。Siori

Hutago_3

この2人は双子ちゃんチームではありません。向かって左は大物男児3.5か月。向かって右はプリンセスMako。

頼むよ、女君たち!美貌は心配していないけれど、シミもシワもウエストもない現在の体型が、20年後には最後のウエストだけはわかるようにね。

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正倉院展

話題の正倉院展に行ってきました。

ご存知のように、正倉院御物は、56歳で崩御された聖武天皇(701~756)遺愛の宝物、六百数十点と六十種のクスリを光明皇后が東大寺の大仏に献納されたことに始まります。

正倉院展が現在のように、毎年奈良国立博物館で開催という形をとったのは1946年(昭和21年)からとか…途中3回ほど東京開催があったので、今年が60回目になります。私が初めて正倉院展に足を運んだのは、京都の市電が25円!だった第23回頃からでしょうか 

当時の正倉院展は、現在のように入館までに何時間も待ったり、宝物の周りを十重二十重に人垣が囲んでいるという状況ではなく、なんとなくのんびリとしていたように思います。あまり豊かでない学生でしたから、当日の朝、同志5,6人でおにぎりを作り、銘々が魔法瓶に熱いお茶をたっぷり入れて、ワイワイ騒ぎながら近鉄に乗って出かけたものです。  お目当ての宝物をゆっくり見てまわリ、奈良公園で昼食。斑鳩の法隆寺にも足を延ばして1日を過ごし、帰りの電車では「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺ね」と小学生並の知識を披露して楽しんだものです。Photo_2

写真は今回の展示物の一つ、                               「平螺鈿背八角鏡」裏側の模様です。千二百年以上前の宝物の保存の良さは、驚くばかり!  この鏡は、表面のカガミ部分の組成からみて、貴重な舶来品の中国産らしいのです。この美しいカガミに光明皇后との仲睦ましいツーショットが映ったり、聖武天皇の内面の苦悩が照らされたのでしょうか Photo_7        

これはサザエのように見えますが、螺鈿細工の素材となるヤコウ貝。 これも出展されていました。貝の真珠層を薄く切り出し、研磨して細工し見事な技術で虹色に輝く螺鈿として八角鏡の裏面を飾っています。

毎回の正倉院展でいつも印象に残るのは、この時代の古文書の文字の力強さと美しさです。ずいぶん前に光明皇后の手になる「楽毅論」を見た時はあまりの美しさに声も出ませんでした。漢字(真名)ばかりで書かれた古文書のうち、お経や公文書は専門の写経生たちが書いていたようです。写経生たちの労働条件は苛酷で、長時間労働や泊まり込み勤務が多く、彼らは職業病として腰痛や足痛に悩み、一仕事終わると数日の休暇を願い出ているのも微笑ましいくらいです。 Photo_12中には屋根の修理や洗濯したいから休みも欲しいというようなのもあって、それも何とか認められていたのです。上の写真は、続修今正倉院古文書第19巻(経師等不参解=写経生の欠勤願い)  下の細長いのが、中室浄人(ナカムロガキヨヒト)さんが欠勤した時の始末書、彼は,出仕を怠ったことを悔い、今後は昼夜を問わずがんばるのでどうか堪忍しとくれやす、と書き、日付の後に同僚の11人も連名で上司に許してやってほしいと書いています。  ここからは私の想像の産物ですが、写経生は誰もが似たような貧しい生活だったのではないかしら。特に中室さんは奥さんに5人目の子供が産まれそうだし、老父が病気でクスリも手に入れたいがために、貴 族の家に効率の良い写経アルバイトに行っていたのでしょう。ここで中室さんがクビになれば、同僚の負担も増えますが、彼の暮らし向きを知っている同僚たちは黙って見過ごすことができなかったのでしょうね。何回もこの文書を読んで見て、その後中室さんは無事に勤めを全うできたかしらと1200年後の私は心配するのです。中室さん署名の休暇願が翌年5月にも出されて申請は受け入れられたようですから、彼は写経のお仕事をしくじらなかったのでしょう。良かった、ホッ。      聖武天皇遺愛の品々には、このように下々の生活をうかがわせる品も混じっていて、見ごたえがあります。

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