正倉院展2022(第74回)

   晩秋の野山を彩るシュウメイギクの季節、11月だというのに我が家のベランダには見事なキュウリが実っている。もぎたてをさっと水洗い、ピーラーで薄くそいだだけでそのままパクリ、美味でございます。

20221023_070855 3_20221117105301今年も行ってきました第74回正倉院展!  今回は、752年(天平勝宝4年)の大仏開眼会をはじめ鎮魂と祈りの宗教儀式に使われた宝物が多い。 コロナ第8波中だし、入場券は前売りの日時指定だけなので行列はなし…とタカをくくって5分前に奈良国立博物館に到着。 予想は大外れ、甘かったS字型3列の長ーい列…大嫌いな行列に並んで牛歩もかくや、ノロノロ歩みで20分かけてやっと入場です。 

Photo_20221111172501 Photo_20221117100501  1_20221113123701  目録の表紙を飾る 漆背金銀平脱八角鏡(しっぱいきんぎんへいだつはっかくきょう)は、聖武天皇様ゆかりの鏡。中心に六弁花文‐周囲に飛鳥、草花,蝶、さらに外側に鳳凰、唐草、草花、瑞雲が時計回りに配置されていて、ブランドメーカー顔負けの見事なデザイン。大型の銀製のツボは 東大寺に甲乙1対ある銀壺のうちの乙で口径42.9cmやや膨らんだ胴径は61.3cm、重さは35.1キロもある。

  Photo_20221113123802  Photo_20221117102701 銀壺には、馬に乗り弓を持った人物の狩猟図が鮮明に線刻されている。音声ガイドの女性の「天平勝宝4年…」とゆっくり優しくて丁寧な声を頼りに、途中休憩を入れながら会場を回る。

Honnmirikisi Photo_20221113164801 Photo_20221113133702お説教ばかりでは民衆に飽きられる?音楽と仮面劇で楽しんでいただきましょうか。伎楽面力士と呉女(伎楽における唯一の女性)。崑崙は今回展示されていないが、呉女を恋い慕って 逃げ回る呉女を追いかけ回し、力士に懲らしめられる役割。崑崙って「西遊記」の孫悟空そっくり。「思っちゃいけないなんて誰にも言えないはずよ」と秘めておけないから大変です。

Photo_20221117151001Photo_20221117151002損傷激しいこのぼろ布(失礼!)は、繍飾方形天蓋残欠(ししゅうかざりほうけいてんがいざんけつ) 天蓋は仏像や高僧の頭上を荘厳する傘、本品は一辺が3.2m以上の方形の布だったと考えられている。唯のぼろ布にしか見えないこの布の価値.用途を明らかにし、気が遠くなりそうな復元も試みられるのでしょうか…    Photo_202211171027023_20221117102701 大好きな古文書は、正倉院古文集第2巻の大粮申請継文(たいろうしんせいつぎふみ)、745年(天平17年)2月から10月までに兵部省、刑部省など中央官庁から出された13通を収めている。これは刑部省の現場職員仕丁に毎月支給するコメや塩等について、仕丁などの人数、労働場所、食料などの総量が記載されている。2月時点で刑部省で働く仕丁は54人、全員が恭仁の宮にいた。8月になると、同庁の仕丁は平城京と紫香楽宮(しがらき)に配置されていた。聖武天皇様が740年(天平12)10月に平城京を離れ、恭仁宮、難波宮を経て紫香楽宮へと彷徨い、745年5月にやっと平城宮に戻ったことはよく知られている。仕丁はつらいよ、と言いながら庶民は強くたくましいものです。

 Photo_20221117193801 2_20221117193801 Photo_20221117203401

葉付大根1本を1回のご飯で平らげる方法。大根は茹でて出汁で煮てトリそぼろ大根に,葉と茎に切り分けて塩少々でゆでます。ゆであがったら葉も茎も細かく刻んでゴマ油で調味、チリメンジャコか竹輪と合わせてお醤油たらりです。最後は誕生日を祝ってもらった時のスナップ、付け下げと北村武史さんの袋を締めています。

 

 

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美山の秋

9月初めの 晴れた休日に美山に行ってきた朝7時市内出発、福王子から高雄を越え、国道162号線(周山街道)を時速50キロ以下でひた走って、美山まで1時間半はかかる。中川トンネル、笠トンネル、京北トンネルを抜けて1時間ようやく周山の道の駅ウッディ京北に到着。

Akahasi  20220904_084524  Photo_20220913073701  周山から更に25キロ、再び162号線を走り由良川にかかる平屋橋(赤橋)を渡ると、そこはかやぶきの里 初秋の美山だった。北山型入母屋造りと呼ばれるかやぶきの家は39軒、由良川と平行に建てられ、20年に1回共同作業で屋根を吹き替え生活を守る。里山をバックに稲が色づき、そばが花咲き赤いポストまでしっくり溶け込んでいる。まだ青いカキの実と対照的に、一抱えもあるハローウインかぼちゃはわざとかな道端にゴロごろ…

20220904_085033  Photo_20220913163701  川端に 早くも紫式部が実をつけ、千木(馬乗り)5本(7本の家もあるそう)のかやぶき屋根、前庭には揺れるコスモス…優しく懐かしい原風景に心和む。

20220904_084853  Photo_20220913163802   初秋の美山を堪能して赤橋を渡り帰途につく。周山のウッディ京北に寄り、お目当ての裕山(ユウザン)の鮎寿司が手に入って大喜び❢  我が家に戻れば、京都市内は35℃越えまだ真夏の暑さ、昼食は藍色ガラス鉢いっぱいの冷そうめん献立です。いつもの自家製めんつゆとおろし生姜も良し盛岡のジャジャ麺ならぬ我が家の麻婆なす麺もまた良しかな⁇           砥部焼の丸い鉢は,ゴム手して皮をむき、1時間半酢水であく抜き、浮き上がるのを鍋蓋で抑えつつ茹でたズイキのゴマ酢和え、細長いホーローバットはアジの南蛮酢、どこまでも真夏のビールにピッタリ献立です。

Photo_20220914151402 Photo_20220914151401書棚の後ろ側から岩波文庫が2012年に出した幸田文(1904ー1990)の対話上下が出てきた。一流の人々38人と幸田文さんが選りすぐった言葉で丁々発止と渡り合う対話集は圧巻!明治の文豪幸田露伴を父に持ち、親子2代の文化勲章、44歳からの遅い作家出発、「父」「弟」「闘」「流れる」、そして60歳過ぎて、法隆寺の解体修理で知られた宮大工西岡常一さんとタッグを組んでの法輪寺3重の塔の再建…この時代にクラウドファンディングがあれば、文さんが金策に駆け回ることもなかったでしょうに…

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対談はどれにも圧倒されるが、西岡常一さんとの「檜が語りかける」は、木の声を聴きくせに合わせて堂塔を組む、右に反るやつ左に反るやつを組み合わせて木の心を聴くのが宮大工と語る。  殻を破って出てきたばかりの灰色ガンのマルティナと会話したという「ソロモンの指輪」のコンラート.ーローレンツさんみたい。はぁ、完璧、スキなさすぎの幸田文さんだが、フランス文学者多田道太郎さん(1924⁻2007)との対談で笑いを取っていた。法輪寺の塔の再建時、西岡さんは90歳、ご子息は60歳くらいか…「おたしさん、おたしさん」としきりに話に出てくる人は隣人位に思っていたら聖徳太子様のことだった!多田さんが合いの手で「話はテープでお取りになって?」「いえ、テープでとっても後でなんだかちっともわかりませんの…」「寸法どうりしなければあとでいらわんならん「いらわんてどんなお椀?」まるで落語?           美山の自然の花々には及ぶべくもありませんが、秋の七草風お月見の花です。

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人間青山(ジンカンセイザン)

暑中お見舞い申し上げます。 先日まで鳴りを潜めていたセミ達が「お熱いのが大好き、待ってました」とばかりに早朝から桜や木蓮の樹で大合唱‼ セミの生命力も凄いが新型コロナウイルスも凄い。オミクロン株が変異してBA.5に置き換わり、感染者数は20 万人/日となり第7波到来、人類との熱い戦いはまだまだ続きそうです。

Photo_20220720152502 Photo_20220720152503Photo_20220720153501そんな中で、7月17日3年ぶりの祇園祭 動く美術館 山鉾巡行(前祭)が無事行われた。京都市民の私たちは稚児のしぐさの一つ一つ、くじ改めの少年の凛々しさに歓声を上げて見守った。コンチキチンの祇園囃子も嬉しいが、13日の宵々々々山からのスゴイ人出はニュースで見るだけに。
山も鉾も釘1本使わず、独特の縄で組み立てる伝統作事、作事方も鉾引きボランティアの方々も練習を積んで備え、この日があったのですね。
気のせいか、先頭を行く長刀鉾の音頭取り2人が若くなった感じ。辻回しだけはベテラン4人組が乗り込んでの音頭取り、長時間の辛気臭い間を見せ場に変えて、車方、囃子方とも息の合った辻回しはお見事! 

 20220724_08220520220724_1126002Photo_20220723073301 盛唐の大詩人李白様(701⁻762)の客中行の紹介に、敬愛する中野孝次氏は「人間到る処青山あり」としていて長い間不思議だった。 そうですか漂泊の詩人李白様のお墓は、中国安徽省当塗県青山にあったか。私の学生時代はもう半世紀前になるが、大学は熊野神社近くにあり東大路通りに面して何軒もの「青山」という喫茶店があった。単純にコーヒーのブルーマウンテンだと思っていたが、もしかして青春の墓場の意味?

蘭陵美酒鬱金香  蘭(らんりょう))(びしゅ) 鬱金(うつこんこう)

玉椀盛來琥珀光  (ぎょくわん)(もりきた)る (こはくのひかり)

但使主人能醉客  (た)主人をして(よ)くわしめば

不知何處是他鄉 らず(いず)れの(いずれの所かこれ)(たきょう)なるを   

さーすが李白様、故郷に錦を飾るなんて考えこれぽっちもない…蘭陵の酒は良い香り、玉椀になみなみと注がれて琥珀の光を放つ。主人がうまく私を酔わせてくれればそこが故郷さ。

Photo_20220723073401 Photo_20220723073402  タイトルの人間青山の初出は獄中の政治家蘇軾(1037⁻1101)が、1079年に死を覚悟して実弟に送った2編のうちのその一にある。是る処の青山骨を理む可し(いたるところのせいざん 骨をうずむべし)。多彩な蘇軾は、文人書家.あの蘇東坡肉の料理家としても名高い。故郷でなくてもどこでも死に場所はあるさ、弟よ、来世があるなら君とは又、兄弟でありたいね。この蘇軾の人間青山を取り込んで、幕末の尊王攘夷派の僧侶 釈 月性(1817⁻ 1858)は、男子志を立てて故郷を出れば、学成り出世しなければ死んでも帰ってはならん。どこにでも骨をうずめなさい!と勇ましい。ベランダきゅうりとハモカワの酢の物は夏の定番、サラダ感覚で美味しく戴いている。蘭陵の美酒はシャンパンでいかが?下戸には、能勢ミネラルもいけますよ。

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海は青かった

3910mの明石海峡大橋を渡って、淡路島の玄関 岩屋温泉 松帆の湯へ。温泉で日頃の疲れを癒して、18時前には今夜の宿グランド淡路ニッコーに到着。 何年ぶりかに見た海は青かった!青かった❕ 新型コロナで3年間も自粛(萎縮)生活をしていると海の色さえ忘れてしまう。

Awaji20220609_0639461654812189166_20220630072501  汲みあげた海水は透明 なのに海の色はなぜ青い?おなじみ海の色問答、水の分子は波長の長い赤系の光を吸収しやすく、波長の短い青や緑は海中で吸収されず海表面で乱反射するため、海は青く見えるそう。   ホテルは夢舞台や国立公園近くにあり、豊かな自然と整備された歩道が調和して朝の散歩を楽しめる。地産地消が売りものの高級フレンチは、まだまだ勉強の余地がありそう…

 20220609_075050_2022063007240120220609_075418_202206300724011995年1月の阪神淡路大震災から27年、見事に復興なった淡路島には、テーマパークも多くその一つイングランドの丘へ足を延ばした。徳島寄りのイングランドの丘へ、下道を走って高速代を節約したせいで、心細くなるほグルグル同じところを回り2時間以上かけてやっとたどり着きましたイングランドの丘。

1655939316359_20220630073701ご飯よりお風呂大好きのカピバラ、1日のほとんどを樹上で休息しているコアラたちも動物園で見るよりゆったりしているよう。何より楽しめたのは、バラ園行きのトラクターに引いてもらうバス。でも熱中症になりそうなくらい暑い暑いアツい。私たちシュフが活気づくのは、新鮮野菜や名産淡路島玉ねぎ、キンメダイの干物の値段を見て確保した時だけ。

Photo_20220623083601こちらは日本海側、舞鶴軍艦港、海も空も穏やかで蒼い。ウクライナ軍事侵攻で、地球上で賛成少数のロシア、かってソビエト連邦だった1961年4月、人類初めての有人宇宙飛行が成功して世界中から拍手喝采を浴びた。その宇宙飛行士ユーリイ.ガガーリン(1934-1968)が、宇宙船ポストーク1号から地球を見て発した「地球は青かった」はあまりにも有名。ただそれは日本だけの引用で、「空は非常に暗かった。一方地球は青みがかっていた」が本当とか。

 

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兵馬俑と古代中国展

  2月24日にロシアからの侵略が始まり、今なお、出口の見えない泥沼のウクライナを夜のニュースで見る。本当にマリウポリは陥落寸前なのか、この侵略を止めるべきはロシアのプーチン大統領だが、彼はブレーキの利かない戦車に乗ってしまった…安全な日本にいる私にできることは、ウクライナから目をそらさず関心を持ち続け、心ばかりでも確かな所に寄付を届けるだけ。

Photo_20220420233601Photo_20220427073201    Photo_20220420233602京セラ美術館で開催中の兵馬俑と古代中国を観てきた。ヒトや動物の姿を写し取った像を俑と言い,故人の死後の生活のため地下世界に収められた1974年に西安市で発掘された秦の始皇帝(BCE259-210)の兵馬俑8000体が有名。図録の表紙を飾る跪射武士俑(キシャブシヨウ⁾は高さ122㎝ 、弩(ド=イシユミ)集団の一員の彼は、右膝を地面につけ左膝を立て弩を構えて待機している。 モノクロ写真は、発掘時のまま始皇帝陵の土中にある兵馬俑。等身大の前面の武士団が、向かって左に揃えている髷にも注目!。

Photo_20220415133603Photo_20220418130501Photo_20220418134302Photo_20220418134301時代からは、イラストのような立射武士俑178㎝や、アクセと見まがう愛らしい金虎 高さ3.1㎝【もしかして虎符】も出土している。

20220410_102340_20220418132901 Photo_20220418132501   Photo_20220418132603展示最後の室は撮影OKなので、イヤホンガイドつけたまま、スマホを迫力満点の舞台に向け夢中で撮影中。着物は灰水色大島、葉桜の名古屋帯という装い。

 Photo_20220418180601 Photo_20220418180501Photo_20220419184301彩色騎馬俑は高さ33cm、長さ34cm 秦時代から見るとまるでミニチュア、皇帝陵ではなく劉邦に従った臣下陵のもの?  右の彩色歩兵俑高さ48cm,顔貌が北方系らしい。のちに激しく争うことになる匈奴とも前漢時代は仲良く交流していたのか?   BCE202年、漢の劉邦が垓下の戦い(ガイカノタタカイ⁾で楚の項羽を破って漢皇帝の座に登ったのは46歳の時,劉邦が建国した前漢は約200年続いた。 鼎の軽重を問うの鼎がこれ、父癸青銅鼎(フキセイドウテイ)、BCE771 年に滅亡した西周の陵から出土した。高さ30.5cm,口径26.5cm、戦にも携帯して魚肉を調理したのでしょうか。

Takenoko-1  Photo_20220419184401  今年も長岡京のF様から見事なタケノコ様がご到着。普段は眠っている直径35cmの巨大土鍋と寸胴で水から1時間、ゆっくり茹でて一晩そのまま冷まします。筍ご飯と焼筍の田楽味噌で賞味! 変異を続ける新型コロナウイルスも宿主を殺してしまえば元も子もなくなる…そう利己的ではないはずだから、どこかで人類と折り合いをつけて収まることを信じて…ゴールデンウイークは京見物で静かに過ごす予定です。

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命は続く 小林美智子先生を悼む

春まだ浅い3月10日、私たち桶谷式の大恩人小林美智子先生が永眠された。ここ数年体調を崩されて療養中だったが、曽孫誕生を見届けての安らかな旅立ちだったと聞いた。美智子先生(親しみを込めてそう呼ばせていただく)と、桶谷そとみ先生とのご縁は深く永い。 

3_2022032915020116(2004年(平成16年6月総会時のスナップ)
美智子先生は高岡市のお生まれで、桶谷治療院があった白銀町は近く、幼い時から「桶谷のおばちゃん」とは顔見知りだった。信大医学部在学中に学生結婚され、お子様5人を授かった。卒業後は小児科医となられたが、仕事と子育ての両立は大変なご苦労だったと察しられる。3番目のお子様が病弱で、看病に疲れ果て乳腺炎に罹患、夜遅く実家に帰り桶谷先生の乳房治療を受けて快癒された。「弱い子ほど母乳で育てなければ」と叱咤激励されたのは1970年(昭和45年)のことだった。のちに美智子先生ご自身が、研鑽会誌創刊号1980年10月発行と会誌2号81年3月発行 に詳述されている。

News20220329_1523211977年(昭和52年)、桶谷式が一大ブームとなり始めた頃の桶谷先生と美智子先生 研鑽会誌創刊号と2号   桶谷先生は、多忙な診察業務の後に一人一人のカルテをご夫君庄蔵氏とともに検討して、母子一体性の原理を見出し、挿絵入り論文を何本も書き上げておられた。段ボール何箱ものカルテや論文を見せられた美智子先生は、鋭い感性の持ち主として、実際に乳房治療を受けた小児科医として、全国どこでもこのような母乳治療が受けられるように、助産師たちを鍛えなければ ‼』 と熱い思いを語る桶谷先生に共感し、長ーい旅が始まったのです。私は昭和51年10月から高岡通いを始めて住み込み研修も受け、「47都道府県に一人ずつきちんと手技ができる助産師を育てたい!」という桶谷先生のお言葉を耳にタコができる位聞いています。全国各地から講義と技術教習を懇願され、大会場で何百人もの助産師に研修させながら、漠然たる不安をお二人は感じていたのでしょう。桶谷を残すために、のちに小人数制、みっちり研修制度に代わるのです。

 Photo_20220401155501  Photo_20220401155502 1980年(昭和55年)4月 満開の桜のころに桶谷式研鑽会発会、水色の和服桶谷先生の左が美智子先生。

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カンパーイは1983年7月、アメリカのカンザスシティで開かれた国際母乳連盟会議に招待されて桶谷先生が無事講演とデモンストレーションを披露。お歴々と共に若輩の私もお供しています。桶谷は前途洋々の船だと誰もが信じていたころです。                  あれから幾星霜…研修センターの学校長も引き受けられた美智子先生は、毎年六月初めに開かれる総会で、良く通る美しい声で、来賓あいさつをされた。 私たちはただ頭を垂れておのが無知、怠惰を恥じるばかり。亡くなられる3か月ほど前に先生の論文集も完成しましたね。生涯努力と研究心を持ち続けられた美智子先生。先生の5人のお子様から曽孫さんまで、命は続きます。美智子先生有難うございました。安らかに眠ってください。

                                      


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きょう 私たちはみなウクライナだ

  国際社会が固唾をのんで見つめる中、ロシアがウクライナに軍事侵攻したのは6日前の2月24日!   まさかまさか軍事演習がそのまま戦車突入はないだろうとは安易な予測だった。ウクライナ第2の州ハリコフは、小型ミサイルで攻撃され幼児を含む市民の死者も多数出ている。
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ウクライナ危機をめぐって開催中の国連総会緊急特別会合で、今日 ジャマイカのラトレー国連大使は、同国の伝説的なレゲエ歌手、ボブ・マーリー(脳腫瘍のため36歳で亡くなった⁾の言葉を引用して演説した。きょう私たちはみな、ウクライナだと切り出し、「父親であり、母親であり、兄弟、姉妹であり、息子、娘なのだ」と述べて、ボブ・マーリーの名曲「ゲットアップ・スタンドアップ」を引き、「起き上がれ。立ち上がれウクライナのすべての人びとの権利のために」と締めくくった。

Photo_20220302145402このラトレー大使の演説が休眠中の私の脳を刺激して、京都の一般人に何ができるかと考えを巡らせ、とりあえず信頼できるところに寄付しようとADRA Japanのウクライナ緊急支援に送金した。ウクライナの現状に無関心ではいられない、ロシアの侵攻を何とか止めようと声を上げ続ける。ウクライナを出国して難民となった67万人余の人々のほとんどは女性、ご自分の意思で国に残った人々もいるが、18歳から60歳の男性達は出国を止められている。本当に今日  私たちは 皆ウクライナです。                 金沢の典雅な金箔張りの親王飾り、向かって右が殿は京風の飾り方です。ちらし寿司は毎年ですが、家族からはもっと薄焼き卵を沢山!とかてまり風のお寿司はどう等ご意見多数。金色の実を多数つけた橙、正月飾りにおもちの上に鎮座ましますのがダイダイでこのまま樹に置いておくとまた緑に戻るって本当?    2月最後の日曜日、家族が引きこもりの中高年(わたし)を気遣って、北野天満宮の梅林鑑賞に誘ってくれた。      ステルスオミクロンが脅威だし、午後1時からSGH財団主催のzoomによる「がんを予防するための最新情報」講演を見る予定だし…と渋っていたが出かけてよかった‼

Photo_20220302145501 Kitanobairinn

Photo_20220303051702 Photo_20220303051701  広ーい梅林は三分から五分咲位、白梅紅梅蝋梅、香しく、あでやかにつつましく見事な咲きっぷり。北野の天神さん学問の神様として信仰され祀られている菅原道真公(845⁻903)だが、901年に左遷されて大宰府に赴任し、2年後にそこで没した。その後、道真公は冤罪だったから怨霊になって藤原氏に祟っていると大きな噂が立ち、また当事者が相次ぎ亡くなったため,北野の地に神としてまつられた次第。zoom講演も素晴らしく医学は日進月歩なんてものじゃないですね、秒進分歩と感じました。

   

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新年ご挨拶 2022

皆さま  明けましておめでとうございます。昨年9月末の緊急事態宣言解除から、新型コロナ オミクロン株の席捲まで3か月の休息でした。皆様から今年もたくさんの年賀状を頂き感謝しております。この場を借りて厚く御礼申し上げます。

Hana-hiiragi  Photo_20220106083401柊の白、南天の赤、年末の大原と初詣の北野天満宮で撮影しました。恒例だったホテル大宴会は、仕事柄 今年もご遠慮。我が家のおせちテーマは巻き○○ニシン昆布巻き、ゴボウと人参の矢幡巻、鯛の龍皮巻き、だし巻き卵。自慢の柔らかい黒豆は30年来のレシピ、さび釘の代わりに鉄卵(ナスのぬか漬け用)を代用。ガスの火力調節に誰かがつきっきり、28日から取り掛かって30日朝に出来上り。ソフトニシンができて楽になったニシン昆布巻きも半日がかり。31日に田作り、カズノコ、紅白なます、菊花かぶ、サケのヨーグルト味噌焼き、養老エビを仕上げて蒲鉾を飾り切りしてお重に詰めます。端っこをつまんだり、味見と称してポイ!頻度が最も高いのは田作り、昆布巻きのニシン、黒豆は固いんじゃない?甘いんじゃない?味見頻度も高い。えっローストビーフと花びら餅がない❓予算縮小で本年は取りやめ。シャンパンを張り込んでいますしね。

Photo_20220106075801   Photo_20220106075802  初詣は、露店.屋台でにぎわう北野の天神様へ。名物に旨いものあり、長五郎餅ご家庭用を求めて家族で一服。

 Photo_20220106075803 Photo_20220106075901Photo_20220106093101春着は、毛馬筋の江戸小紋、帯は名古屋の青海波。ちなみに昨年の顔見世(やはり行きました)  着物は、小倉淳史先生の付け下げでした。疾走する虎に振り回されるか?人類の英知を見せる寅年になるか❓本年もよろしくお付き合いの程を!

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筆と硯 第73回正倉院展

もう1カ月も前になったが、晩秋の奈良国立博物館で開催された第73回正倉院展(10月30日⁻11月15日)を観てきた。ちょうど緊急事態宣言が解除され、なぜか新型コロナ感染者は激減、お出かけ安心感が広がって近鉄奈良駅から博物館までの登大路はベビーカーの親子連れなど人出がぐっと増えていた。見上げれば紅葉、生垣には山茶花 季節はゆっくり廻っている。

 Kouyou 20211121_080350ヒトとかかわる仕事を持つということは、流れ弾ならぬ暗闇からの石つぶてが頬をかすめたり、想定外の困難が降りかかるのは承知していたはずなのに…晴れて機嫌のよい日ばかりが続くはずもないのに、いざ嵐に近い土砂降りに遭遇すると心が挫けそうだった。6週間過ぎた今、やっと前向き思考になり、困難を乗り越えることは自分を成長させるステップだと思えるようになった。中高年になっても成長は必要らしい。  下書きのまま放置していた正倉院展ブログに取り掛かる気力も出てきた。昨年同様、今年も日時指定の事前申し込み入場券で混雑はわずか。

Photo_20211111073901   20211111_084145 

図録表紙を飾る螺鈿紫檀の阮咸(らでんしたんのげんかん)=丸い胴の弦楽器。拡大した槽の部分はとりわけ見事で、2羽のホンセイインコらしき鳥が旋回する様子がヤコウガイ、タイマイ等で華麗に装飾されている。会場内には阮咸の物悲しい音色がビヨーンビヨヨーンと響いて雰囲気を盛り上げる。    聖武天皇様(701⁻756]は、生母藤原宮子が彼を出産後に重度の心的障害を起こし、母の愛を知らずに成長された。即位後は地震.旱魃.天然痘大流行、長屋王 藤原広嗣の乱などが続き災難が度重なります。総て天皇の徳が足りないからにされてしまうご時世ですから、彷徨える天皇といわれるくらい遷都を繰り返して改善を試みるも全く効果なし。

Photo_20211216164401頼るは仏教のみ‼巨大な廬舎那仏を建立しておすがりしましょう‼  華やかに見えても聖武天皇さまの国庫はひどい財政難、東大寺を建てたり大仏様をおつくりする費用はどこからも出ない。ここに強力な助っ人現る‼ 民からの信望熱い僧 行基さま。彼が全国行脚して、大仏建立の意義を説き物資や人手を集めて回り、9年にわたる日本国あげての一大プロジェクトが始まります。行基さまは752年の大仏開眼を見ることなく没し、聖武様も東大寺と廬舎那仏を残して756年に崩じられます。

  Photo_20211111082801  Photo_20211214140701  天平の文房具セット、硯、墨、筆である。正倉院に唯一伝わる青斑石の 、硯をはめ込んだ六角形の床石と木製の床脚、多様な素材と技巧を凝らした古硯は世界でも例がないとか。漢字の風をイメージした硯は『風字硯』と呼ばれ、墨筆文化に寄せる天平人の熱い思いが感じられる。舟型墨は長さ22.2cm幅は約3cm、松脂を燃やした煤の松煙墨と煮溶かした膠を練り合わせ乾燥させた国産墨ですって…写経事業に使われた可能性大。

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筆管は竹、筆は長さ17㎝から21.6㎝、筆自体は中心に芯になる獣毛を立て、周りを紙で巻いてさらに数回にわたって毛と紙を交互に巻いて作られている。装飾性が高いこれらの筆は、有芯筆(巻筆,雀頭筆)と呼ばれる貴重な存在。様々な色に染めた未使用の紙100枚くらいを紙で包んだヒノキ製の軸木に巻いたもの、長さ28.5㎝×46.5㎝、五色紙と称された。

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写経所に勤務する下級役人の文書12通をつないで1巻にまとめたうちの2枚。薄ネズ色の文書は、麻柄麻多麻呂さんがコメの借用を申し出て、20日後には稲を刈って精米して必ずお返ししますと。ちょっと切ない文書です。  もう1枚は、川村福持さんが若桜部朝臣梶取(わかさくらべのあそんかじとり) さんを写経所の校生に採用していただけませんかというお願い。知人か親戚の坊ちゃんを少しでも収入のよいところにお世話してあげましょうは勘繰りでしょうか。雲上人には雲上人の、庶民には庶民の苦しみがある。でもいつの時代も庶民は逞しく生き抜くすべを知っていますね。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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気候危機

8月9日に公表されたIPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)最新報告書を、国連のグテーレス事務総長は「これは人類に対する厳戒警報だ」と評した。産業革命以降、世界の平均気温は1℃上昇。海面水位があがり、熱波や豪雨、干ばつ、台風災害が頻発しているのは、人間の活動が自ら招いたものだと指摘。石油や石炭.天然ガスを使う便利な人間社会が、二酸化炭素を排出し続け、地球温暖化につながったという。

Photo_20210930073901  20210930_182809閑話休題、テーマが重いのでちょっと一息。叶 松谷先生の作陶展会場でさりげなく生けられていたザクロ、出展されていた抹茶茶碗の一つ、東海道五十三次のトロロ汁で有名な丸子の宿場がモチーフとか。気候危機に戻って、現在の生活を続けると、今後10年足らずでさらに地球の平均温度が0.5℃上昇する。気候変動というより気候危機というべき状態なのだ。生活に欠かせない冷蔵庫やエアコンもフロンガスをやめて代替フロンになっているが、強力な温室効果ガスなので地球温暖化の面からは問題がありそう…徐々にクルマの燃料もガソリンから電気に移行しているがまだまだ…我が家がタクシーをやめてバスや電車.テクシ―にしているのは、新型コロナが怖かったのと節約のため。美術館や博覧会で大量に買って配るクリア ファイルもプラスチックだから紙ファイルを探しましょう。気候危機に関しては、スエーデンのグレタ.トウンベリさんのように30年後の未来がかかる若者たちが敏感で活動も活発!

Photo_20210930081701  Photo_202109300820018月20日から9月12日迄で発出された4回目の緊急事態宣言が、9月30日迄延長されてやっと今日で終わる。増え続けた新型コロナ感染者数もなぜか、減少傾向になり経済を回せ❕の掛け声も強い。 濁った沼の魚のような、息苦しい緊縮生活を脱して秋を満喫したい、お出かけ日和を見て萩の寺常林寺に行ってきた。  朝7時 京阪出町柳駅で降り、階段を昇って川端通リに出ると、常林寺はすぐ東側、北には高野川と鴨川が合流する鴨川デルタが見える。学生のころや安サラリーの勤務助産師だった昔は、川端を歩いて河合橋―出町橋を渡り、出町の輸入食品店や商店街で楽しく買い物をしていた記憶が蘇る。

Photo_20210924132201  Photo_20210930081801   境内は秋のイメージ、庭いっぱいに咲き揺れる紅白の萩、ススキがありウメモドキが赤い実をつけ、木犀がつぼみ準備中、手入れの行き届いたお庭の美しさは息をのむばかり…音もなくホロホロと散る萩の風情、万葉集には142首詠まれていて、2位の梅を引き離し人気NO1だけある。常林寺には、お寺建立以前から祀られていた地蔵尊があり、世継子育て地蔵様として信仰されてきた。新型コロナ、不安なパキスタン情勢、気候危機社会を生きる、世界中の子供たちの未来を祈願してきた。

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行平鍋の中は,食べる輸血生ビーツ2個とローリエ1枚、火にかけて3分くらいでポリフェノールの一種ベタシアニンが溶け出して茹で汁赤く染まる。泥臭くなるそうで蓋はせず、ゆっくり120分茹でて、鍋のまま冷ます、タケノコ方式ですね。ビーツは、抗酸化作用がありアンチエイジング効果もあって良いことづくめ?冷めたらつるっと皮をむき、保存液=は米酢500ml砂糖50g、クローブ3個を沸騰させて冷まして漬け、冷蔵庫のドアポケットに収める。数か月大丈夫とか…お楽しみ。

 

 

 

 

 

 

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